艇界の〝レジェント〟今村豊が引退 やり残した賞金王は「(弟子の)白井英治が取ってくれる」

2020年10月08日 16時35分

植木通彦ボートレースアンバサダー(左)から花束を贈られた今村豊

 レジェンドがレーサー人生に幕を下ろす――。7回のSG優勝、そして48回のGI優勝の記録を残し〝艇界のプリンス〟、近年は〝レジェント〟の愛称で親しまれた今村豊(59=山口・48期)が8日をもって引退、東京都・港区六本木の「BOAT RACE六本木 SIX WAKE HALL」で引退会見が行われた。

 登壇した今村は一礼の後、関係者、ファンに向けての礼を述べ、その後、思いを語った。

――引退を決めた経緯

 今村豊(以下今村) 最低体重制限が11月から52キロに変更されます。その52キロに対して限界を感じ、今期限りと考えました。8月の下関SG「メモリアル」で(最後)と考えたが、9月末に徳山の記念(GIダイヤモンドカップ)のあっせんをいただき、最後にしようと決めました。ボートレーサーになったのは体が小さく体重が軽く、父親が「(選手に)なれ」と言ったから。一番減量したので43キロ。練習して汗をかいたり、食べなかったりすると余計(体重が)落ちた。でも健康上の問題で最低体重制度ができて、今度は太らないといけなくなった。食べたくないのに食べるのは、ものすごくつらい。レース後に宿舎ですぐ食べるのは嫌々だから苦痛。自分には減量するより増量がきついとずっと思っていた。

――いつ夫人や同県の選手に引退を話した?

 今村 (夫人には)以前から自分が体重で苦労していて、うすうす(体重)制限が)変わったら辞めるかも」とは言っていた。正式には徳山(GIダイヤモンドカップ)前検の2、3日前に「徳山で辞める」と言った。そうしたら(夫人は)「はい」と言ってあとは何も言わなかった。白井英治(山口=43)と寺田祥(山口=42)には徳山(GI)の4日目が終わった時に伝えた。英治は「聞いてない」と自分の部屋に飛び込んだけど。

――過去に辞めようと思ったこともあったか

 今村 42、43歳のころ、メニエール病になって、発作が出るとレースができず欠場になる。その欠場が増えて関係者に迷惑がかかって、その時は考えたことがあった。でも何とか頑張ってここまで来れた。

――印象に残っているレースは

 今村 平和島のダービー(1987年)ですね。レースより笹川良一会長(当時)と橋本龍太郎運輸大臣(当時)に直接、表彰してもらったのが印象に残っています。

――徳山GIのラストランへの気持ちは

 今村 正直レースにならないと思っていた。とにかく正常にスタートして正常にゴールすることだけを考えた。ちゃんとゴールする姿を見せたいと思っていたので。

――39年間、レーサーとして貫いたことは

 今村 人にぶつかっていかないレース形態は最後まで崩したつもりはない。ミスでぶつかったことはあるけど、勝つために手段を選ばずにやったことはない。それは貫き通せたと思う。

――思い残したこと、やり残したことは

 今村 やり残したことがあったら辞めていない。満足感でいっぱいです。賞金王(グランプリ)はチャンスはあったけどこれも今村豊の人生かな。すべて(タイトルを)取ったら面白くない。白井英治が代わりに取ってくれるというので。私の夢をつないだと思う。

――自身にとってボートレースとは

 今村 人生そのもの。高校を出てすぐ訓練を受けてデビューして、59歳まで。ボートレースに始まりボートレースに終わった。

――今のボートレースに思うこと

 今村 今は売り上げもいい時にきている。良かったバブルの時も知っているので、それを超えてほしい。今は電話投票やネット投票の会員も増えてボートレースを知らない人が興味を持ってくれている。ファンの皆さまでボートレースを盛り上げてほしいですね。

――未来のボートレースに思うことは

 今村 ファンの方が見て「ボートレースって面白いよね」というレースをしてほしいですね。コロナの制限が解けた時にぜひ本場でレースを見てほしいと思います。

――今後について

 今村 ゆっくりのんびり生きていきたい。今後は特別、職に就くことは考えていない。でも何かお手伝いが必要な時に手伝っていければと思います。

――最後にメッセージを

 今村 本当に今日は、このように盛大に引退の場を設けていただきありがとうございました。全国のファンの皆さま、本当に長い間、応援してくださってありがとうございます。本当に私の支えとなってくれて、ここまでやることができました。自分は悔いのない辞め方をしますので、残念がらないでほしいと思います。皆さま本当にありがとうございました。

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