「絵の中のぼくの村」は1995年に高知県で撮影した劇映画だ。原作は絵本作家の田島征三さんによる同名のエッセイで、東陽一監督と組んだ作品だった。
田島征三、征彦さん双子が高知で過ごした少年時代を描いた映画で、主演はオーディションで選んだ地元の双子の少年、松山慶吾君と翔吾君、母親役に原田美枝子さん、父親役が長塚京三さん。
撮影初日から前途多難な製作だった。大雨による崖崩れで道が塞がれ、宿舎から撮影現場までスタッフが辿り着けないという悲惨なクランク・インとなった。時代設定は昭和23年。はるか昔の話と違い、当時の風景や暮らしを再現するのに最も気を遣う厄介な設定で、しかも7月の高知で、真冬のシーンを自然の中で撮影するというスケジュール。とにかく大変な撮影だった。何とかクランク・アップはしたものの、私も監督も失敗作ではないかと、苦い思いを抱えていた。
完成後の試写会の感想も低調で、配給を引き受ける会社も見つからなかった。そんな中、初めてエントリーしたベルリン国際映画祭への出品が決まった。映画祭の事務局からは「主演の双子を映画祭に連れてきてほしい」等々いろいろ要望が届き、こちらの出費は膨らんでいった。映画祭側から招待費用が出るのは監督と俳優1人分だけなのだ。そうこうするうちに、欧州の配給会社から世界配給について契約のオファーが来るなど、行く前から不思議な展開になっていった。
結果、ベルリン国際映画祭では金熊賞に次ぐ2番目の銀熊賞を受賞した。日本映画では4作目となる受賞。審査委員長のニキータ・ミハルコフからは授賞式後のパーティーで如何に作品を高く評価したかを聴かされた。
ドイツの新聞や映画雑誌にも数多くの好意的な映画評が掲載された。特に注目されたのは、映画の中に描かれた日本の地方に残る瑞々しい風景、とりわけ緑豊かな自然と人びとの暮らしへの驚きと賞賛だった。
映画の設定である敗戦後3年目という時代は日本と同じ敗戦国であり、厳しい批判と国土の荒廃を経験したドイツの人びとに、特別な感傷を与えたのかもしれない。「美しい映画」というシンプルな批評の言葉が深く心に残った。映画を褒められたことよりも、自分が製作に関われていることが何より嬉しかった。
映画祭での受賞や評判が日本国内に伝わり、一気に流れが変わった。映画の見方が変わり、評価され、映画はヒットした。海外での評価を鵜呑みにした、軽薄な変化ではなく、プロデューサーである私を含めて「もうひとつの」映画の見方に気づかされたのだった。
☆やまがみ・てつじろう 1954年、熊本県生まれ。86年「シグロ」を設立、代表就任。以来80本以上の劇映画、ドキュメンタリー映画を製作・配給。「絵の中のぼくの村」(96年)でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞をはじめ、国内外の映画賞を多数受賞。主な作品に石原さとみ映画デビュー作「わたしのグランパ」(2003年)、「老人と海」「ハッシュ!」「松ケ根乱射事件」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」「沖縄 うりずんの雨」「だれかの木琴」「明日をへぐる」など。現在「親密な他人」の公開を控えている。












