新宿ゴールデン街と地続きには当時、柳街とか風林会館前の路地裏飲み屋街など戦後の風情を残した飲み屋街が点々と残っていた。「小茶(こちゃ)」もその路地裏の2~3坪の飲み屋が連なる一軒だった。路地を挟んで姉妹店があり、おつまみなどは行き来していた。

 その小茶ではまだ学生だった高橋伴明(映画監督)、荒井晴彦(脚本家、「映画芸術」編集長)、佐伯俊道(脚本家)、安藤佳津巳(画家)、佐伯俊男(イラストレーター)等が熱く映画を語り、政治を語り、女と遊んでいた。その頃私が住んでいた新大久保のアパートにはホント皆良く泊まりに来ていて、台所にはそれぞれボン(高橋監督の通称)、荒井とか書いた歯ブラシが置いてあった。

 井筒和幸も上京したばかりで和泉聖治監督の助監督をしていた時には、私のアパートに居候して現場に通っていた。私が主演でしたしね!(ピンク映画さ)。

 今は日本映画監督協会の理事長・崔洋一もカメラ学校の学生で良く小茶で会ってて、1972年私の兄の結婚式に木曽まで一緒に行き、その結婚式の記録写真を撮って貰った。現存するその写真は今でも兄の自慢でもある。

 私もすでに「はみだし劇場」を旗揚げしていて、東北各地や北海道までも放浪旅芝居、路上劇を展開していた。その時も私が妻籠宿(つまごじゅく=中山道の宿場)をその芝居衣装で歩き、崔が撮影した写真が何枚も残っている。お袋との写真なども…。今でも崔監督と会うとその話で盛り上がる。楽しい思い出だ。

 小茶が混んで来ると私は階段下で立ち飲み、隣の店とのやり取りも手伝うのが常だった。いつか日本酒コップ一杯を100円から110円に値上げした時がある。その時、おばちゃんに「じゃその値上がりした日本酒!」と注文したら烈火の如く怒り「トバちゃん出入り禁止!」と怒鳴られた。その10円値上げにも心痛めていたであろう心情を逆撫でしてしまったんだと思う。ご免なさい、おばちゃん。今、酒場経営していてその「心」痛い程分かる。…その出入り禁止も一週間で解けたが! (敬称略)

 ◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。