俳優の中井貴一が28日、多臓器不全のため亡くなった脚本家の倉本聰さんを追悼した。

 中井は、倉本さんが手がけたフジテレビ系ドラマ「風のガーデン」(2008年)で主演。この日、公式サイトで「昭和ドラマの巨星の訃報」と題し、故人を偲んだ。

 中井は「向田邦子さん、山田太一さん、そして倉本聰さん。テレビのチャンネル権がまだ大人にあり、子供にとってテレビが宝箱だった時代。あまり、意味は分からずとも、宝箱にかじり付いて観たドラマ。企業のCMを流すために作られたテレビという箱を、一週が待ちきれないほど質の高い、物語を見せる箱に変えていった巨星達」と言及。

 続けて「倉本聰さんと初めてお仕事をさせて頂いたのは、1983年放送の『波の盆』であった」と回想。「撮影前に行われる本読み。会議室に集まり、笠智衆さん、加藤治子さんをはじめとする錚々たる先輩達がテーブルを囲む。当時、21歳であった私は、当然末席に。そこに、プロデューサーを先頭に、監督、倉本さんらが入室。ゆっくり席につく」と振り返る。

 当時「静けさというものは、人が居らず、自然の中に身を置いた時に感じるものであり、都会デトックス、癒しだと思っていた私であったが、60人ほどの大人が片寄合う様に集った大都会の会議室で感じた静けさ」といい、「台本の上を滑り落ちた鉛筆が、机に転がる。その音が、ペットポトルを壁に投げつけたかの様な爆音に聞こえる程。緊張と恐怖を覚え、静けさの概念が変わった瞬間でもあった」と語った。

 さらに「本読み終了後、先輩方に容赦ない、倉本さんのダメ出し。末席に控える私は、血祭りを覚悟した。だが、デビューして2、3年ほどの私には、ほぼ言葉はなく、終了」だったそう。「その時強く感じた。お前さんはまだダメ出しをする程の俳優にもなっていない…先輩のダメ出しを通して、私に伝えたメッセージを」。

 また「その後、数々のドラマにお声がけを頂き、度毎に、色々な事を厳しくも、愛情を持って教えて頂きました」と感謝。

「『おもちゃの神様』というドラマのオファーを、ご本人から直接頂いた時の事。『今度、俺のなりすましをした人間の話をドラマにするんだけど、その成りすましをした男をやってほしい。その役…どう考えても、貴一なんだよ。成りすましやらせるんだったら、貴一しかいないんだよ。他に思い浮かばないんだ。』と」。

 その時「どういう事?どういう意味? 直接、オファー頂いたのは嬉しかったのですが、一癖も二癖もあるオファー、こんなオファー…って…(笑)と複雑な気持ちでお受けした事が、昨日のことの様」と振り返った。

「最後にご一緒出来たのは、映画『海の沈黙』」だったという。改めて「ここから…もっともっと面白いドラマを書いて頂きたかった。面白いテレビドラマを。残念です」と偲んだ。

 私生活にも言及。「晩年は、大好きなタバコも止められ、療養をなさっていらしたとか。天の上が、全面禁煙かどうかはわかりかねますが、喫煙所を見つけて、大好きな一服を、気兼ねなく楽しまれてください」といい、「心よりご冥福をお祈りいたします」と結んだ。