東京支部の古豪・熊谷直樹(56=東京)が36年半にわたる選手生活にピリオドを打つ――。13日に選手登録の消除手続きを行うにあたって12日、「引退発表記者会見」が東京都・ボートレース平和島の特設会場で行われた。
1997年7月の当地「第2回オーシャンカップ」で悲願のSG初制覇を飾った思い出の地で引退会見を行った熊谷は黒のジャケットにジーンズというカジュアルなスタイルで登場。いきなり「辞めるのはやめました」と“ボケ”の挨拶で会見は始まった。
最後のレースとなった10月30日の大村9Rは彼らしく『フライング』だった。このFで「ここ10年10数年、なんとかつながっていた細い糸が切れてしまった。わずか1%もあったかどうかの『グランプリに出る』というレーサーとしての目標を完全に失ってしまった」と、引退の理由を語った。
そして、一番の思い出のレースには「やっぱりここ(平和島)のオーシャンカップ。思い出だし一番うれしかった」とデビュー12年と3か月で果たしたビッグレース初制覇を挙げたが「1等以外のレースは全部が悔しかった」としみじみと話した。
今後については「来年から農業をやろうと思っています。現在はそのことばかりを考えているのでボートレースで何かするとかは、今はない。そのうちに何かお役に立てれば…」と第2の人生に向かって、舵を切り始めている。
数少ない北海道出身の強豪レーサーとして名を馳せ、デビュー間もないころから、彦坂郁雄氏や野中和夫氏(いずれも引退)といった当時のトップレーサーたちに真っ向勝負を挑んだ〝若きチャレンジャー〟だった。前記「オーシャンC」でのSG初V。00年5月には蒲郡「第27回オールスター」で2度目のビッグタイトルを獲得した。
その反面、94年5月の戸田「第21回オールスター」、そして02年6月の宮島「第12回グランドチャンピオン」と2度にわたるSG優勝戦でのフライングを犯しているのも彼らしいところだ。戸田でのFが「SG1年間除外」というペナルティー強化後の第1号なら、宮島は同ペナルティーで初の2度目というモノ。記録よりも記憶に残るエピソードの多い選手だった。
まだ56歳、選手寿命が長いと言われるボートレーサーとしては、早すぎる引退ではある「プロ意識」に徹し続けてきた彼のことだ、新たな舞台でもきっと“ビッグタイトル”を取るに違いない。












