【今週の秘蔵フォト】 今、思い出しても「1億人の妹」というキャッチフレーズは実に説得力があった。1978年にドラマ「コメットさん」が大ヒットして、2年連続でブロマイドの売り上げがナンバーワンを記録。トップアイドルの地位を確立したのが大場久美子だ。77年3月30日付本紙では、まだ「1億人の妹」と呼ばれる前の大場のインタビューが掲載されている。

 73年に「劇団フジ」に入団して子役として活躍。75年に「あなたをスターに!」で審査員特別賞を受賞して芸能活動をスタート。76年「遺書 白い少女」で映画デビューすると、ハウス食品のプリンのCMなどで一気に注目を集める。

「クミコって呼ばれていたのが最近はプリン、プリンと呼ばれているの」と笑顔で語る。インタビュー時は大林宣彦監督の初の劇場用ホラー映画「ハウス」(同年7月全国公開)の撮影中だった。本紙では「ハウスのCMで認められ映画『ハウス』に出演」の見出しが立っている。7人の美少女が次々と「家」に食べられてしまうという内容で、当時は大きな話題を呼んだ。

「私はファンタっていう夢見る少女の役なんです。人が家に食べられるのをただ1人目撃していてそれでやっぱり一番最後に食べられちゃう」と屈託なく笑う。当時16歳の高校2年生。「女子高だから話題の中心はやっぱり三浦友和さん。(クラスメートは彼氏と)かなり進んでいる子もいるようですね。私は男の子と話すより女の子と話す方が好き」と語った。

 1人歩きすることが好きで、よく「プリンの女の子」と声をかけられたという。「お茶を飲みませんかって。中にはしつこい人もいますけど、困りますって断っています」とファンにも庶民的なイメージは強かったようだ。

 同年6月には「あこがれ」で歌手デビュー。その後も多くのヒット曲を生み「コメットさん」で一気にブレーク。「1億人の妹」と呼ばれた。現在は芸能界から離れて心理カウンセラー、ユーチューバーとして活躍中だ。