「相手にしてもらうまで7年かかったんですよ」。憧れの浅井嘉浩(ウルティモ・ドラゴン)との関係を振り返り、TAJIRIはそう言った。メキシコで初めて顔を合わせ、「日本に帰った方がいいよ」と言われた。それで終わったわけではない。相手にされるまでには、さらに長い時間が必要だった。
一度日本へ戻り、約2年間活動した後、再びメキシコへ渡った。そこで浅井と再会する。この頃には、浅井はメキシコにプロレスラー養成学校「ウルティモ・ドラゴン・ジム」を設立。1997年には「闘龍門」の旗揚げ戦を行い、若い日本人選手を育てていた。すでにプロレスラーとして活動していたため、TAJIRIはそこには加わらず、現地でフリーとしてリングに上がっていた。
憧れの人との再会。それでも状況は大きく変わらない。「その時もあんまり相手にされなかったんですよ」。だが、それを悔しいとは思わなかった。「相手にされるようにならなきゃいけないなっていう感じでした」。浅井へ気持ちを向けるのではなく、自分自身の問題として受け止めていた。
同じメキシコにいても、歩んでいる道は違った。浅井は若い日本人選手を育てる一方、TAJIRIはフリーとして現地のリングに上がり続けた。その後、歩む道はメキシコから米国へとつながっていく。
ECWで約2年間活動し、団体の活動停止後、2001年にWWF(現WWE)へ進出した。浅井を追ってメキシコへ渡った頃とは、立っている場所が大きく変わっていた。そして、その数年後。今度は浅井がWWEへやって来た。
メキシコでは自分が浅井の背中を追っていた。それが米国では、自分が先にWWEにいて、そこへ浅井がやって来る形になった。「その時、初めて相手にされたんです」。初対面の時とは、二人が顔を合わせる場所も立場も変わっていた。
メキシコからECW、そしてWWEへ。歩みを進める中で、浅井との関係もようやく変わった。「相手にしてもらうまで7年かかったんですよ」。憧れの人を追い続け、それだけの年月が流れていた。












