【プロレス蔵出し写真館】〝破壊王〟橋本真也が高田延彦とのキック合戦を制し、新日本プロレスの至宝IWGPヘビー級王座を奪還したのは、今から30年前の1996年(平成8年)4月29日の東京ドームだった。
新日プロは、95年10月9日、東京ドームに超満員札止め6万7000人の大観衆を集めて、UWFインターナショナルとの全面対抗戦を開戦した。メインイベントで武藤敬司が高田延彦を古典的な必殺技、足4の字固めで下してIWGPヘビー級王座を防衛。翌96年1・4東京ドームでの再戦は、高田が腕ひしぎ逆十字固めで武藤をギブアップさせ王座を奪取した。
3月1日、Uインター日本武道館大会で越中詩郎を下し、初防衛に成功した高田に対して挑戦の名乗りを上げたのがIWGP王座の通算防衛最多記録(13回)を保持し、「ベルトの価値を高めたのはオレだ」と自負する橋本だった。
橋本は垂直落下式DDTで高田をマットに突き刺したが、あえてカバーにはいかなかった。三角絞めを決めてギブアップを奪ったのだった(写真)。
観客が最も沸いたのは、ハイキックにきた高田に水面蹴りを見舞ったシーン。永田裕志は自身のユーチューブで、大一番を前にした橋本は、道場にこもって念入りに練習していたと証言する。
さて、橋本の勝利を喜び、東スポに観戦記を寄せたのは師匠のアントニオ猪木だった。猪木は「オレも食らった経験があるが、あの橋本の体形から飛び出してくる蹴りはズシリと重く、ヒザがガタガタになってしまうほどの威力がある」と絶賛した。
猪木は90年2月10日の東京ドーム大会で坂口征二とタッグを結成して橋本&蝶野正洋と激突した。猪木は橋本のローキックを食らい、試合終了後は立っているのがやっとの状態。鼻血を流し、無残な姿をさらして「橋本と蝶野。本当に強くなりました」と2人をたたえていた。
猪木は、橋本に檄を飛ばしていたことも明かした。橋本が過去、IWGP王座を失った際に、道場に顔を出しても多摩川で釣りばかりやっていたことを非難。「レスラーが釣りしててどうすんだ!」と叱ったという。「オレにとって力道山先生が常々、怖い存在だったように、オレも橋本らにとって怖い存在にならなきゃダメだと反省もした」と語った。
橋本は猪木の思いを受け取り、高田戦のためにガウンを新調し、背中に「闘魂伝承」の文字を縫いつけた。橋本の〝猪木イズムを受け継ぎ、乗り越えていくのはオレしかいない〟という決意の表れだった。
ところで、この年の6月30日に行われたイベント「メモリアル力道山」で、長州力の〝インディー批判〟発言に大日本プロレスのグレート小鹿がかみつき、大日本との対抗戦が東京ドームで行うことが計画された。
10月5日に予定していたが、ドームをフランチャイズにしていたプロ野球、日本ハムファイターズの雨天中止となった9月1日、北海道・函館の近鉄戦がドームでの代替試合開催と検討されたこともあり、中止の決定を下した。
最終的に日本ハムの最終戦は10月3日に終了したが、宣伝期間を考慮すると開催するリミットがあり、待つことができなかった。結局、大日本との対抗戦は翌97年1・4でのドーム大会へと変更となった。
当時を知る関係者は「大会が中止になってから、新日事務所で『用意してたんですよ』と、刷り上がっていた当日のチケットを見せてもらった。メインは猪木VS橋本だった」と明かす。
ドームのメインイベントに決まっていたのはアントニオ猪木VS橋本真也のシングルマッチだった。
「大会が中止になって何日かして、専門紙『週刊ファイト』にその記事が出た。永島(勝司取締役企画部長)さんに『お前がしゃべったんだろ!』と怒られた。確かに僕は永島さんからその話は聞いていたけど、ファイトの記事には驚いた」(前出の関係者)
新日の強さの象徴・橋本と、この年1・4ドームでビッグバン・ベイダーを相手に鬼気迫る試合を見せ、6月1日には米ロサンゼルスで開催された「平和の祭典」イベントでダン・スバーンとタッグを組み藤原喜明&オレッグ・タクタロフと対戦した猪木。老練な試合ぶりを見せて試合に勝利していた。
果たして、一騎打ちが実現していたら〝番狂わせ〟が起きていただろうか。ガウンに縫いつけた橋本の決意「闘魂伝承」が実現していたかもしれない(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














