1990年代のオタクブーム時にすい星のごとく現れ、おたく評論家やコラムニストとして活動した宅八郎さん(本名・矢野守啓)が8月11日に東京都府中市の病院で小脳出血のため死去していたことが4日、分かった。57歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。

 著書に「イカす!おたく天国」「処刑宣告」があり、雑誌のコラムなどで活躍したほか、「おたく評論家」の肩書でテレビ番組にも多く出演し、一世を風靡したが、業界内でのトラブルも少なくなく、メディア露出は激減した。

「夢中になると周りが見えなくなるタイプだったかもしれないですね。歩きながら本を読んだり、超人的な集中力の天才でした」

 こう宅氏をしのぶのは、1992年から翌年にかけて毎日のように会っていた本橋信宏氏だ。本橋氏の原稿を読んだ宅氏が編集部に手紙を送ったことで交遊が始まったという。交際していた女性とトラブルが発生し、ワイドショー、週刊誌に追いかけられた宅氏が、本橋氏の部屋に逃げ込み、そのまま1か月ほど居候をしていたこともあったという。

「普段は本名の矢野守啓に戻り、宅八郎の気配を完全に消していた。おたくなのだが、おたくでない。おたくがおたくを演じきっていた」

〝宅八郎モード〟になっても仲間に対して過剰な気配りがあったという。

「自分だけが目立つことをすごく気にして、『ごめん』とこちらに気を配る繊細な心を持ち合わせていた」(本橋氏)

 宅氏の芸名はアニメ「エイトマン」の主人公。東八郎が由来だといわれ、マジックハンドで「リカちゃん人形」「森高千里フィギュア」を持った独特のキャラクターが印象的だった。

「森高千里は営業上のファンであって、実際は小泉今日子の大ファンだった」(本橋氏)

 宅氏はDJ、歌舞伎町のホストとして活躍した時期があった。客を同伴して、宅氏が働くホストクラブにアフターで通った元キャバ嬢はこう語る。

「マジックハンドでグラスをつかむ『マジックハンドイッキ』で宅さんは、人気者でした。怖いもの見たさに、みんな宅さんを指名する。マジックハンドイッキのグラスが倒れて、お客さんのスーツがビショビショになるのは、ロシアンルーレットよりもスリルありました。」

 新宿2丁目にも〝宅八郎伝説〟があった。

 新宿2丁目関係者は「ウリセンバーでいろいろな美少年を指名して連れ出して遊んでいました。ジャニーズの歌が大好きで美少年に歌わせていました。男の僕に対してのスキンシップも過剰でしたが、人との距離感をとるのが不器用な自分を変えようと努力しているようでした」と語った。

 メディアに出ていない様々な側面を持つ鬼才だった。