今月2日に終了した日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」で、20年間にわたりお茶の間の昼の顔を務めたフリーアナウンサーの宮根誠司(63)がプロレス愛を激白だ。最近は昼間の過ごし方に戸惑う一方、プロレスへの情熱は少しも衰えない。12月15日には東京・後楽園ホールで3回目のプロデュース大会「THE GATE OF MIYANE 2026」を開催する。記者の直撃に、大会に込めた思いやプロレスにハマった原点、今後の活動などを熱弁。さらに東スポへの〝仰天要求〟も飛び出した。
――12月15日のドラゴンゲートのプロデュース大会の狙いは
宮根 テーマは「ドラゴンゲートの現在地」です。真のメジャー団体たりうるか、他団体の選手を呼び、お客さんに見極めてもらいたい。選手同士の化学反応も楽しんでほしいですね。
――今回の注目選手は
宮根 特別参戦する武知海青選手ですね。「THE RAMPAGE」のパフォーマーですが、DDTでレスラーとしてすごいスピードで成長している。潜在能力を見てほしいですね。DDTの納谷幸男選手も発表しましたし、今後もあっと驚くような選手を発表します。
――カード作りで大切にしていることは
宮根 お客さんが見たい意外なカードですね。外部から5人ぐらい呼びます。組み合わせを考えるのは苦しいけど楽しい。ドラゴンゲートには優秀な選手が多いのに、もっと有名になってほしい。それがプロデュースのきっかけです。スピードがあり、ファンサービスも熱心。あと一皮むければ、もっと認知されると思います。
――これまでの大会で印象に残っていることは
宮根 昨年の第2回大会に参戦した鈴木みのる選手ですね。自分でオファーしたんですが、リングに呼ばれた時は怖かった。YAMATO選手と2人で思わず頭を下げました(笑い)。
――ドン・フジイとは長い付き合いだ
宮根 20年以上前、ある方との食事中にドン・フジイ選手の話になったんです。テレビで見て面白いレスラーだと言ったら、その方の知り合いで、紹介してもらいました。そこから彼は僕のストーカーになったんです(笑い)。
――プロレス好きになった原点は
宮根 子供の頃、親が見ていた影響です。豊登さん、ラッシャー木村さん、猪木さん、馬場さん。外国人選手や猪木さんの異種格闘技戦にワクワクしました。コロナ禍には、選手の皆さんがPCR検査をして無観客でも試合を続けてくれて、僕は救われました。プロレスはなくてはならないものです。
――2017年には自身もプロレスデビュー
宮根 最初はリングに上がるつもりはなかったんです。ジャガー横田さんに「レフェリーやんのか、プロレスやんのか」と聞かれ、レフェリーと言おうとしたら「プロレスだよな」と(笑い)。特訓で受け身やロープワークはきつかった。レスラーとリングに上がる以上、中途半端ではいけないと思いました。
――「ミヤネ屋」が終了した今の心境は
宮根 肩の荷が下りた一方、寂しさもあります。20年間やってきたので、昼間をどう過ごせばいいのか分からない。この間、東京で平日にカルボナーラを食べたんです。平日の昼ご飯を街で食べるのは20年ぶり。こんなに人がいるのかと新鮮でした。
――今後の活動と63歳の人生観は
宮根「Mr.サンデー」(フジテレビ系)は続けますが、ニュース以外の番組にも出て、違う宮根誠司を見てもらいたい。テレビ朝日の玉川徹さんのラジオでも話しましたが、僕らは残された時間が少ない。とにかく楽しむしかない。それが今の心境です。
――東スポにはどんな印象を
宮根 大学時代、大スポの「原結婚」という見出しを見て、巨人に入団したばかりの原辰徳さんかと思って買ったんですよ。ところがプロレスラーの阿修羅原だった(笑い)。これが1面か、すげえなと。東スポさんはプロレスの記事が一番詳しく、ワクワクする。宇宙人の話題でも「東スポが報じているんだから宇宙人はいる」と番組でずっと言い続けてました。今後もとにかく楽しませてほしい。宇宙人やUFOを見つけて、早く火星に「東スポ火星支社」をつくってもらいたい(笑い)。
☆みやね・せいじ 1963年4月27日生まれ、島根・大田市出身。関西大学経済学部卒業後、87年に朝日放送入社。「おはよう朝日です」などを担当し、2004年に退社してフリーに転身。06年にスタートした「情報ライブ ミヤネ屋」の司会を20年間務め、26年10月2日に番組終了。10年からフジテレビ系「Mr.サンデー」に出演。大のプロレスファンとして知られる。趣味はゴルフ、筋トレ。















