肝不全のため兵庫県尼崎市の病院で死去したコラムニストの勝谷誠彦さん(享年57)の通夜が28日、同市の阪神平安祭典会館でしめやかに営まれ、勝谷さんの“戦友”で「不肖・宮嶋」ことフォトジャーナリストの宮嶋茂樹氏(57)が弔問に訪れた。
勝谷さんは8月、アルコール性の劇症肝炎と診断され緊急入院した。9月30日にツイッターで「奇跡的な復活が見えてきました」として活動再開を報告し、イベントやラジオ番組収録にも参加したが、26日に容態が急変。この日、息を引き取った。
「不肖・宮嶋」の名付け親である勝谷さんとの付き合いは20代のころ、マニラの合法バーで出会ったことから始まった。湾岸戦争やカンボジアのPKOなどでともに活動してきたという。
そんな“戦友”の訃報は人づてに聞いたそうで「しばらくガセだと思った。自分の目で見て本当だと実感しました」と無念さをにじませた。最後に会ったのは今年の夏だったそうで「相変わらず悪態をつくので安心してた。今日の日を予期できないくらい元気でした。私の方が先にいくと思っていた」と早すぎる死を惜しんだ。
勝谷さんについて「すごい取材力のある人」と語った宮嶋氏は、2人で行った最も印象的な取材について聞かれると「渡鹿野島(わたかのじま)の潜入取材ですかね」とニヤリ。渡鹿野島といえば、かつて“売春島”と呼ばれ男性の憧れだった島だ。
勝谷さんが早稲田大学在学中から風俗のフリーライターとして腕を鳴らしていたのは有名な話だが「3日間くらいの取材だったんですけど、1日目が終わると『体調悪いんで帰るわ』と、私ひとりを残して尼崎の実家に帰ったんです。もともと風俗ライターで、潜入取材なんて水を得た魚のようなもの。残された私はあとの2日間、針のむしろでしたよ」と懐かしそうに振り返った。












