マラドーナ氏の右腕には、同じアルゼンチン出身の革命家チェ・ゲバラの入れ墨が入っている。志半ばで1967年に39歳で命を奪われたゲバラはカリスマ化し、その顔絵はTシャツの柄としても世界的に知られる。ゲバラに傾倒するマラドーナ氏の脚には、キューバ革命を主導したフィデル・カストロ議長(2016年に90歳で死去)も彫られていたという。

 アルゼンチンからスペインのバルセロナ、イタリアのナポリと欧州でも栄華を極めたマラドーナ氏。一方でコカインなど薬物におぼれ、アルコール依存症の治療を受けたこともある。86年のW杯優勝後はスキャンダラスな一面もクローズアップされ、「堕ちた偶像」視もされた。

 97年に引退後、不摂生からか体重120キロと報じられるほど太ってしまったことも(身長は165センチ)。00年に心臓発作を起こし危篤説も漂った中、足を運んだのはキューバだった。医療先進国と言われるキューバで治療を受け、カストロ議長と親交を深め、自身の家族とともに面会することもあった。

 米国から長らく敵視され経済制裁を受けてきたキューバ。カストロ氏は米国に異を唱え、マラドーナ氏も“反米”的な姿勢を見せた。ベネズエラの故ウーゴ・チャベス大統領、マドゥロ現大統領やボリビア大統領を務めたエボ・モラレス氏らとも「アミーゴ」だと報じられ、“反米人脈”も注目された。06年のペルー大統領選では反米の左派候補の支持を表明し、当時の米ジョージ・W・ブッシュ大統領嫌いを隠さなかったという。

 そもそもサッカー界への入り口から、マラドーナ氏はエリートとは縁遠かった。ブエノスアイレス近郊のラヌースの貧困街に生まれ、76年にアルゼンチンリーグ史上最年少となる15歳11か月でデビューしたのはボカ・ジュニアーズ。ブエノスアイレスにはリバープレート(リーベル)も本拠を構え、日本のサッカー関係者によると、政治家や経営者らエスタブリッシュメントがお気に入りのリーベルと、庶民的なボカは相いれない関係にあるという。

 そんなマラドーナ氏には、ボクシング界で最強を誇ったマイク・タイソン氏も傾倒。08年に公開されたドキュメンタリー映画「マラドーナ」は、カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドール受賞歴のあるエミール・クストリッツァ氏が監督した。スキャンダルが絶えなかったタイソン氏に、旧ユーゴスラビア出身で西側とは違ったテイストを醸し出すクストリッツァ氏らいわば“異端”の人を引きつける魅力がマラドーナ氏にはあった。

「神の子」と称されたマラドーナ氏は左利きで、86年W杯で“ハンド”から得点した「神の手」ゴールで知られる。ブエノスアイレスには「神の手教会」もあり、“信者”が通う。誰よりも大衆に愛されたヒーローだった。