元WWEケンゾーの新日入団秘話 テレビマンの彼をその気にさせた “荒鷲” 坂口征二の口説き文句

2021年05月15日 11時34分

“世界の荒鷲”坂口征二氏に見いだされ、満開の桜の中、ケンゾーは新日本プロレスでレスラー人生を踏み出した(1999年4月1日)

【鈴木ひろ子の「レスラー妻放浪記 明るい未来」2】世界最大のプロレス団体「WWE」で活躍したKENSO(ケンゾー=46)&鈴木ひろ子氏(46)夫妻による連載「レスラー妻放浪記 明るい未来」。第2回はケンゾーの新日本プロレス入団についてだ。名門・明大ラグビー部からサラリーマン生活に入っていたテレビマンが、なぜプロレス界の門を叩いたのか。当時の新日本では会長のアントニオ猪木氏、闘魂三銃士が絶大な影響力を持つ中、ケンゾーを導いたのは“世界の荒鷲”こと社長の坂口征二氏(現・相談役)だ。

 ケンゾーがプロレスラーとしてデビューしたのは2000年1月4日。新日本プロレス1・4東京ドーム大会です。

 1・4ドーム大会といえば新日本プロレスに今なお続く年に一度のビッグイベント。プロレスに入門してからカルガリーへ半年の武者修行、そして日本に帰国するとドーム大会デビュー。ケンゾーにこの華麗なるレールを敷いてくださったのが坂口征二会長(当時は社長)でした。

 当時、ケンゾーは社会人ラグビーの道を選択せず、テレビ局に入社していました。ラグビーの名門・明治大学ラグビー部では大学選手権でも優勝。日本代表Aにも選出された経歴を持っていた彼は、アナウンス試験に苦戦する私をよそに、準キー局の東海テレビに入社。ところが入社もつかの間、すぐに新日本プロレスのスカウトを受け、プロレスラーに転身することになります。

 こうしてテレビ局に入社したケンゾーをわずか半年でプロレス界に引き入れたのが、明治大学のOBでもある坂口会長でした。

「いい体してるな。それで会社で座ってるんじゃ持て余すだろ」

 これが坂口会長との最初の会話でした。確かに体を持て余していたケンゾーはその瞬間にレスラー転身を決意。仲間が皆社会人ラグビーを続ける中で、彼は将来を考えてテレビマンを選んだわけですが、そもそも「脳より体」で意思決定してきた男です。そんな理性なんぞ半年も持ちませんでした。当時、福島中央テレビのアナウンサーだった私にとっても彼がレスラーに転向することは大問題で、準キー局のテレビマンの妻になるというもくろみはあっさり消え、それどころか、これまで考えたこともなかった「プロレスリング」というまったく未知の世界にいきなり突っ込んでいくことになったのです。

 ところが当時のケンゾーは私の不安をよそに、すでにリングに夢ばかりを見ていました。

「大丈夫。俺は明治のラグビー部で、とんでもない連中なら、しこたま見てるから。大抵のことじゃ驚かない」

 結局、最初の半年は驚きの連続でした。当時は新日本プロレスに昭和の人気絶頂時代の残り香が漂っていた時代です。

 時は三銃士、橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司が人気を博し、ちょうど「橋本VS小川」の抗争の真っただ中。プロレスが茶の間のメジャーだった時代をギリギリ体感できたケンゾーはラッキーだったと言っていいでしょう。スケールの大きいやりとりがケンゾーの周りで繰り広げられていきました。道場では永田(裕志)選手や藤田(和之)選手が兄弟子として後進の指導に当たり、長州(力)選手や(佐々木)健介選手も頻繁に顔を出します。橋本真也と小川直也の抗争が激化する中、ケンゾーは橋本選手の付け人になりました。橋本選手からの電話はひっきりなし。また何かあったのか、と慌てて駆けつければ、特に何もなく、朝まで一緒にお菓子とコーヒー牛乳を飲んで夜を明かす。ああ見えて酒は飲みませんが、夜は寝ない。付け人たちは朝までお菓子で付き合うのです。

 中でも特別な存在感を放っていたのが、アントニオ猪木会長でした。時に新日本プロレスでは猪木会長が格闘技に軸足を移し、様々な動きが勃発していた頃。猪木会長はじめ、上層部の先輩レスラーの言動は、内情を知らない若手にとっては「これは本気か? お芝居か?」と腹を探りながら聞くしかありません。

 テレビで見る昭和の大スターたちの内側はハチャメチャを通り越し、ありえないほど個性的なやりとりに、あっという間に毎日がプロレス漬けになっていきます。

 そうした中でも、いつも見守ってくださっていたのが坂口会長でした。プロレス界一のビジネスマンであり、彼がいたから新日本プロレスは企業として成立していました。そして猪木会長が「伝説のアントニオ猪木」でいられたのも、坂口会長の功績だと思えてならないのです。

 しかし新日本でのこうした様々な個性との出会いも長くは続きませんでした。ケンゾーはメジャーでの特別待遇を自ら手放すことになります。新日本プロレスを離れ、WJの倒産を経験し、アメリカに渡り、メキシコでゼロから再スタートを切るという完全なる「我が道」を歩み始めます。

 ケンゾーのレスラーとしての道を開いてくれたのは坂口会長に違いありませんが、かく言う新弟子ケンゾー本人も、実は想像を絶する個性派だったのです。 (鈴木ひろ子)

 ☆すずき・ひろこ 1975年2月14日生まれ。千葉・船橋市出身。明大卒業後に福島中央テレビにアナウンサーとして入社。2003年にケンゾーと結婚し翌年に渡米。WWE入りした夫とともに、自身は日本人初のディーバ「ゲイシャガール」として大活躍。ハッスルやメキシコマットでも暴れ回った。現在は政界に転身し、千葉県議会議員を務める。一児の母。

 ☆ケンゾー 本名・鈴木健三。1974年7月25日生まれ。愛知・碧南市出身。明大ラグビー部を経て一度は就職するが、99年に新日本プロレス入り。2002年2月にアントニオ猪木から当時混乱していた新日本の現状を問われてリング上で「僕には自分の明るい未来が見えません」と発言したのは語り草だ。その後は米WWE、ハッスル、全日本プロレスなどで活躍。現在は共同テレビジョン勤務。191センチ、118キロ。

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