大阪スポーツでは月に1回、阪神タイガース特集ページ「トラスポ」を掲載している。内容は様々で「虎OBの店 ここで頑張っています」「激白! 虎キャスター」「虎ビアの泉」「虎の新星 ココがすごい!」「猛虎グッズ研究所」などのコーナーの中から、基本的に毎月3本立てでお届けしています。
今年1月から始まったのは「再録・小林繁の細腕波乱半生記」。2010年1月17日に57歳の若さで亡くなった伝説の投手・小林繁氏が本紙専属評論家時代の06年に野球面で連載した自伝を再び、という企画です。それを読みながら、記者も小林さんのことを思い出している。生きておられたら、今のプロ野球界について、どんな話をされただろうか。古巣の巨人と阪神にはどんなゲキを飛ばされるのだろうかと考えながら…。
記者が小林さんと最後にお会いしたのは08年2月だった。本紙企画「小林繁のキャンプ点検」取材の同行。当時、小林さんは韓国SKの臨時投手コーチも務めており、阪神、中日などのキャンプ地を巡った後、沖縄・うるま市のSKのキャンプ宿舎「春日観光ホテル」で別れた。記者がレンタカーでホテルを出発する時、小林さんは外まで出てきて「見送ってやるよ」と言って笑った。「いやいや、そんな…」と戸惑っていると「いいから、早く行けよ」。車を発進させ、ミラー越しに見ると本当に小林さんがそこに立っておられた。恐縮した。でも、まさかそれが一生の別れにもなるなんて…。
優しい方だった。何度か一緒にキャンプ地を回ったが怒られたことは一度もなかった。食事に行く時は、こっちがリクエストを聞く前に「うまい店を調べてきたよ。さあ、いくぞ」。酒席ではやはり野球の話が中心になった。特に巨人に関しては熱かった。「“強くあれ!”“紳士であれ!”“大リーグに追いつけ! 追い越せ!”というのが巨人軍の誇りであり伝統。昔の巨人は全員が1月の自主トレから日本シリーズに出て、必ず勝つと思ってスタートしたもの。今の選手たちもそういう気持ちでやってほしい」など、語りだしたら止まらなかった。
夢プランも聞いた。「いつかメジャーリーグに日本人だけの球団を作れないかなって思うんだよね。本拠地は日本ではなく向こうでね。シアトルとか可能じゃないかなぁ…。日本のプロ野球の日本代表メンバーが所属してね。そうなったら毎日が世界戦。毎日がWBCみたいになるだろ。代表から落ちたメンバーが日本のプロ野球で戦うことになるけど、それでも日本のプロ野球は成り立つと思う。むしろ日本でも米国でも野球が盛り上がるよ。いずれできないことはないと思うんだけどね」。あの時の熱い表情も忘れられない。
08年当時、ルーキーだった日本ハム・中田翔選手についてはこんなことも。「梨田(当時の日本ハム監督)も監督冥利に尽きる。こんな何十年に一人の逸材に巡り合えるのも指導者の運のひとつだよ」。小林さんは09年に梨田監督率いる日本ハムの二軍投手コーチに就任。10年から一軍投手コーチになって、これから、というときの訃報だった。
「“差し込まれる”って表現は使いたいんだよな。この言葉は俺が考えたものだからね」。評論の打ち合わせも含め、小林さんにはいろんなことを教えてもらった。感謝してもしきれない。(運動部デスク・山口真司)
小林繁さんの言葉
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