今季からJ1磐田に加入したMF中村俊輔(38)と名波浩監督(44)はともに日本代表で10番を背負った司令塔。そんな2人の関係が濃密になったのは今から17年前、2000年にレバノンで開催されたアジアカップだろう。

 フィリップ・トルシエ監督が日本代表を指揮していた時代。名波監督が10番を背負う中、俊輔は14番。まだ売り出し中の選手だった。しかし代表には選出されるものの、トルシエ監督に任されたのはトップ下ではなく左サイドアタッカー。当時、血気盛んだった俊輔は「ここはオレの位置じゃないんで(自分が)大きくなれない気がする。(トップ下の)ポジションにこだわりがあるし、いまのままいくことに疑問がある。もう代表定着でなくて、次の段階(司令塔取り)に入っている」とした上で「試合中、無理やりに真ん中でプレーし、そこで結果を出せればいい」と話していた。

 まだ、日本代表レギュラーに定着できていない時期。天才MF小野伸二(37=札幌)らゴールデンエージと呼ばれた世代の選手たちが台頭し、中盤にはライバルも多かった。そんな状況に俊輔は“ギラギラ感”を全開に取り組んでいたが、一歩間違えれば、戦術無視で造反とも取られかねない危険な行為だ。

 そんな俊輔の実力を認め、アジアカップ中に全面サポートしたのが、名波だった。「俊輔だけじゃないけど、若手に『どんどん行けよ』って言っている。後ろのことは気にするな、オレが全部サポートするからって。若いんだから、チャレンジすればいいんだよ。俺は黒子でいい。あいつらが輝けるようになれば…。失敗しても責任は全部オレでいいから」

 後輩の力を引き出したいという名波の意向にイレブンも共鳴し、チームは結束。特に俊輔は「ピッチ内外での取り組みはすごく勉強になった」と感銘を受け、大きな成長を見せた。その結果、見事にアジア制覇を実現。同大会で名波はMVPに選出されるなど、大車輪の活躍と同時に、A代表で若手を引き上げた。

 あれから17年。俊輔は今年1月、磐田入団の会見で「やっぱり名波さんの存在が大きい」と移籍の理由を語ったうえで「若い選手だったりベテランもそうだけど、自分に何かを感じてもらい、落とせるものは落としていきたい。身を削ってでも貢献したい」と、自分が受けた恩義を還元する方針を明かしている。

 そんな俊輔と名波監督が再び競演することになり、磐田はどんな変貌を遂げるのか。2人がガッチリ融合すれば、かつてアジアカップで優勝したような奇跡を起こせるのかもしれない。

(運動部デスク・三浦憲太郎)