Jリーグの立ち上げに尽力された久米一正さんが先月、63歳の若さで亡くなられた。近年はJ1名古屋の社長を務めたことで有名だったが、私が東スポに入社した時は柏の強化部長として手腕を発揮されていた。独特のオーラがあって当初は近寄りがたい雰囲気もあったが、こちらのつたない質問にも丁寧に答えてくれる方だった。
東スポという新聞の性格もよく分かってくださっていて、真面目な質問から切り込んでいこうとすると「本当はそんなことを聞きに来たんじゃないんだろ。さっさと聞きたいことを言えよ」とストレートな受け答えを好んだ方だった。とはいえ、あまりに的外れな質問だと何も言わない。裏を返せば「それは間違っているぞ」というサインでもあった。
日本サッカーをどうやって強くしていくかということを常に考えている方だった。それは自分の立場がどんなところにあろうと、だ。名古屋でGMを務めていた2010年の夏のこと。当時はW杯南アフリカ大会が終わり、次期日本代表監督が誰になるのかというのが焦点だったが、協会側の動きが不透明で、しかも新監督候補との交渉が難航しているという情報も流れてきた時期だった。
国内で取材を続ける立場としては、正直、誰に何を取材したらいいかも分からない時期でもあった。そんな中、久米さんは協会のマッチメーク委員会の委員にも名を連ねていたこともあり、協会側の情報も知っているのでは、という安易な思いで取材に行った。
味スタで行われたFC東京との試合だったが、久米さんはなかなか役員の部屋から出てきてくれなかった。それでも当方が粘っている姿に何かを感じてくださったのか、部屋の窓から顔をのぞかせると「何だよ?」とあきれ顔で応対してくれた。
もちろん、代表監督人事のことはさすがの久米さんも分からない様子だったが、そこである持論を話してくれた。
「なあ、日本代表を強くするためにJリーグっているのはあるんだろ。だったら、Jリーグを知っている人に監督をやってもらったほうが、絶対に日本代表にとってはプラスだよ」
ここまでは、よく聞くフレーズだったが、その後が強烈だった。
「もし、なり手がいないというなら、ウチの監督を差し出したっていいんだよ。俺はそのくらいの気持ちでいる。契約? そんなの後で考えればいいことだ」
当時の名古屋の監督は、世界的なスターだったピクシーこと、ドラガン・ストイコビッチ氏。選手時代は気性の荒さで問題児扱いされていたが、日本で監督をやるようになってからは、常に日本サッカーの発展を願う発言を繰り返していた。確かに、ピクシーなら面白いチームができるかも。でも、今は名古屋の指揮官であるわけだから、もし代表監督就任となれば、契約上、さまざまな問題が発生するのは間違いない。
そこで、改めて聞き直した。「本当にピクシーを代表監督にしてしまっていいんですか?」
すると久米さんは「いいよ。それが日本サッカーのためになるのなら」。記事にしていいという了承も取って原稿を急いで書いた。
結局は日本代表の新監督はイタリア人のアルベルト・ザッケローニ氏に決まり「ピクシー・ジャパン」は実現しなかった。それでも後にストイコビッチ監督にこの件を聞いたら「私もクメさんの意見には賛成だった」と話していた。契約というデリケートな問題が横たわる中でも心意気は同じ。久米さんの“イズム”は共有されていた。
サッカーをこよなく愛し、日本代表がどうすれば強くなるかを考えていた久米さん。早すぎる死はあまりにも悲しいが、その志は今のJリーグ、日本代表に脈々と受け継がれていると信じたい。
(運動部デスク・瀬谷宏)
