最近は少なくなった感があるが、車で取材対象を延々、追跡しなければならないことがしばしばあった。中でも、二度とやりたくないものとして記憶に残っているのが2003年5月の謎の白装束集団「パナウェーブ研究所」の追っかけだ。
同年4月、東京・多摩川に現れたアゴヒゲアザラシのタマちゃんを「捕獲して自然へ返す」と言いだした集団が、週刊誌やニュース番組で取り上げられ、一躍注目を浴びた。だが、その素顔は反共産主義の宗教団体で、「ロシアが開発したスカラー波兵器から身を守るため」メンバーはそれぞれ全身を白い衣服で覆い、同様に白色で統一されたワゴン車には渦巻き模様のシールが無数に貼り付けられるという異様さだった。
さらには「教祖(千乃裕子代表=当時69)をスカラー波から守るため」「5月15日に地球の近くを惑星が通るので大災害になる」として本拠地の福井市内の施設を出た集団が車20台、計60人規模で大移動を開始。福井・九頭竜湖付近や鳥取・国府町などの公道に居座った揚げ句、中部地方を約2週間にわたって不気味に大移動した。
東スポ取材班は記者と後輩記者、カメラマンの3人。レンタカーを使って教団キャラバンを追い続けた。山梨県内で集団と合流すると、その異様さが目に飛び込んできた。
自分たちのユニホームだけでなく、キャンプを張る周囲の木々までも包帯のような白布でグルグル巻きにしている。集団の車は20台だが、警察、マスコミ車両が90台加わる。車列にして約300メートルの大集団が移動する。これにゴールデンウイークが重なり、やじうまの車が加わったから、来られる地元民は大迷惑だ。
「観光地の商店などは客が増えたかもしれないが、信者もマスコミも警察も泊まりはしないし、食事もしないから、町全体がもうかってはいない。ただ、不気味なだけ。見たくもない迷惑な大名行列だな」と地元の人々から声が漏れた。
取材する側もヘトヘトだった。集団は、どうやって計測しているか不明のスカラー波を測りながら時速20〜30キロで走行するのが基本。そして「スカラー波の弱いところ」でキャンプを張る。だいたい町から離れた山の上や湖のほとり。「“空気がきれい”の間違いだろ?」とツッコミたくなった。駐車場に入る場合もあれば、公道の路肩にただ車列を並べて泊まることもあった。
しかも目的地がどこで、いつ停車するかも不明の迷走。突然、深夜2時に移動を開始することも。追いかける方は当然、寝る間もない。後輩記者と8時間ごとに運転と睡眠を交代したが、睡魔との闘い、食事の買い出し、トイレなど、荒行のような日々だった。
後輩記者は「街中に入った瞬間、車を降りて、進行方向に走り、弁当店やコンビニに駆け込み、食料を調達、トイレを済ませる。行列が先に行っちゃってたときは、かなり走らないといけなかったですからね。トイレも大自然の中でできるようになりましたよ」と取材を終えて、話していた。
多いときには1日200キロを移動した。終盤は教団が「福井の施設に向かう」と警察に説明し、最終目的地は判明。5月9日、集団が約1000キロの旅を終えて無事施設に到着したときは“もう移動しないでくれ”と心底思ったものだ。
あれほど過熱報道された「パナウェーブ——」だったが、その後はパッタリと動きを止めた。騒動の最中「あと4〜5日で死ぬ」とコメントしていた千乃代表は3年後に72歳で死去。福井市の施設はその後“白装束”ではなくなり、教団は自然消滅したとされている。
(文化部デスク・延 一臣)
