今になってみれば“貴重な”体験だったが、当時はあまりの怖さに震え上がった。野村克也さんのことだ。

 あれは楽天球団初のクライマックスシリーズ進出、さらに野村監督のラストイヤーにもなった、2009年9月のこと。デーゲーム前の打撃練習、いつものようにベンチに腰掛けた監督は、報道陣に囲まれ和やかに会話していた。しかし、あるシーンを境に言葉数が少なくなり、かつてない“大噴火”が始まったのである。

 監督の視線の先で打撃練習をしていたのは渡辺直人内野手だった。走攻守、闘志あふれるプレーでナインを引っ張り、人望も抜群。DeNA、西武と渡り歩き、18年から楽天に復帰した。今季からは打撃コーチも兼任する熱血漢だ。その彼を呼び出すと、野村監督はかつてないほど顔を赤くし、想像を絶する大声で叱り飛ばしたのだ。

「お前、俺をなめてんのか! 監督に対する冒とくだ! ふざけてんのか! ぶっ飛ばすぞ、この野郎!」

 顔面蒼白で立ち尽くす渡辺直。監督の右隣にいた私は、ちょうど両者の間に挟まれるような位置で座っていた。いきなり始まった公開説教。もう立ち退くこともできない。小さく身を固め、その怒声を左耳でダイレクトに受け止めるしかなかった。あまりに近すぎて監督の体の震え、体温まで体感した。

 一体、何が監督の怒りに火をつけたのか。少し怒りのピークを越えたあたりで発した言葉で合点がいった。

「俺はレベルスイングをしろって言ってるんだ!」

 渡辺直が行っていたのは、バットを大きく上から振り下ろすスイング。俗にいう「大根切り」だった。実は監督、その前に渡辺直のアッパー気味になるスイングを注意していたようなのだが、極端に大根切りを繰り返す姿を、自身への“当てつけ”と感じたようなのだ。

 あのような打撃練習をした渡辺直の真意がどうであれ、あの怒りよう。誰もが懲罰必至と思った。しかし、野村監督は渡辺直を普段通りスタメン起用。本人もこれに奮起し3安打猛打賞をマークするなどチームを勝利に導く活躍を見せ、結果的にあのカミナリが奏功した格好となった。

 もしこのご時世にああいう場面が展開されたら…などというのは、ここでは抜きにしたい。改めて思い出されるのは、政治的な意味合いも何もない、むき出しの感情を報道陣の前でも披露する野村さんの、人間味あふれる姿だ。功績はもちろん、その人間性もまさに不世出の野球人だと思う。

(運動部主任・佐藤浩一)