【デスク発ウラ話】中田氏が述懐した“冷戦”の真相と本音

2020年01月06日 12時00分

 元サッカー日本代表・中田英寿氏の公式ユーチューブチャンネル「Hidetoshi Nakata Official」が好評だ。昨年12月26日から「中田英寿スーパープレー集」がスタート。セリエA時代に所属した各チームを巡る「中田英寿『20年目の旅』」に続く新シリーズ企画として令和の時代に入ったネットユーザーたちからも多くの再生回数を叩き出し、色あせることなく強い興味を引き続けているようだ。

 かくいう自分も視聴し、あらためて中田氏の偉大さを再認識させられた一人だ。しかし、それと同時に忘れかけていた罪悪感が再び呼び起こされた。そんなスーパープレーヤーだった現役時代の中田氏を取材する好機に恵まれながら当時、大人げない意地を張り続けてしまっていたことを心の奥底で後悔していたからだ。

 1999年10月末から12月末にかけ、イタリア・セリエAのペルージャに在籍していた中田氏を現地でチームに同行しながら取材した。しかし「取材」といっても実は名ばかりで、恥ずかしながら中田氏本人とのコミュニケーションは全く取れなかった。この頃、中田氏と日本のメディアは冷戦状態で試合後の囲み取材すら行われないような有様だったのだ。

 取材しようと話しかけたがけんもほろろで、ここで文字にするのもはばかられるような罵詈雑言を本人から直接浴びせられたこともあった。その時、自分もまだ何かと血気盛んな20代後半。若気の至りでカッとなってしまっていたのだろう。だから中田氏の批判的な記事を書くため、ネガティブな情報やコメントばかりをチームメートやスタッフから集めようと必死になっていた。

 ところが、こんな出来事があった。敵地トリノ戦を取材する前日の移動日。チーム関係者の計らいでペルージャからトリノへ移動するチームのチャーター機に運良く同乗させてもらえることになった。しかも、用意された席はチームを率いていたカルロ・マッツォーネ監督の隣。単なる偶然だったのか、それとも何らかの意図があったのか。ハッキリとした理由は最後まで分からなかった。

 フライト中、イタリア語で何度か話しかけられたものの会話に窮し、その度にしばし沈黙した。だが、それを察したマッツォーネ監督はこちらに気を使って英語でこう聞き直してきた。

「どうして日本のメディアは中田を取材しないんだ?」

 ハッとした。面くらいながらも「いや、彼が我々と向き合おうとしないからだ」と説明すると、指揮官は返す刀で言った。

「君たちは彼の立場を分かっていないし、分かろうともしていない。彼は文化の違う国で苦しみながらも戦い続けている。彼をリスペクトしているか?」

 すぐに私は「もちろんだ」と答えたが、マッツォーネ監督から即座に「それはウソだ」と突っぱねられた。結局、互いに相容れないままチャーター機はトリノに到着。だがマッツォーネ監督の言葉は妙に頭に引っかかり、それが次第に「自分はイタリアまで取材に来ているにもかかわらず、何も中田英寿というプレーヤーのことを分かっていないんじゃないのか」という自責の念にかられるようになっていった。

 ちなみに中田氏は公式ユーチューブチャンネルのペルージャ編の中で、移籍早々から大勢の日本人メディアに囲まれていたことで他の選手に白い目を向けられながら偏見との戦いも強いられていた当時の苦境について振り返っている。「当時は若かった」と中田氏は述懐しているが、自分もそうだったのかもしれない。いがみ合っていた約20年前の真相と本音を知り、やはり中田英寿というレジェンドは唯一無二の存在とうならされた。

(運動部デスク・三島俊夫)