球界でも独自の存在感を放ってきたのが現在、ルートインBCリーグ・福島ホープスの球団代表を務める岩村明憲選手兼任監督(37)。勝負強い打撃スタイルはもちろん、歯に衣着せぬ思い切った発言でも人気を博した。ヤクルト、米メジャーのレイズなどで活躍。レイズではワールドシリーズに進出し、弱小チームを変えた立役者としても注目を集めた。「何苦楚魂」を座右の銘に掲げ、道を切り開いてきた岩村氏が、自身の野球人生を振り返った。

(全31回)

【1】東スポでも大きく取り上げられた「古田さんとの不仲説」の真相

【2】コーチ陣のひと言で一気に爆発

【3】反発もしたが…古田さんの苦労を痛感

【4】宇和島の伝馬船で下半身強化

【5】宇和島東の上甲監督が僕に厳しかった理由

【6】全日本選抜で4番、副将、サードへ

【7】地道にバットを振ったプロ1年目

【8】勝ち気で奪った3年目のレギュラー

【9】尊敬すべき人生の“兄貴”だった池山さん

【10】山田よ背番号「1」に気負うな

【11】ラミレスに学んだ“暗黙のルール”

【12】ラミレス監督が人に好かれる理由

【13】メリハリを大事にする真中野球

【14】ビジョンをしっかり持っていた稲葉さん

【15】メジャー行きを後押ししたある出来事

【16】2003年開幕戦で起きたまさかの事態

【17】若松さんの電話通告にカチン!「オレもう出なくていいですよ」

【18】独り立ちできたのは若松監督のおかげ

【19】ストライキ後の初戦で意地の一発

【20】世界へ目を向ける原点だった母の存在

【21】ありがたかった多菊球団社長の気配り

【22】デビルレイズ入団は正直意外でした

【23】ナインの負け犬根性払拭に苦労

【24】一気に距離が縮まった乱闘事件

【25】ジマーさんの言葉でチームが上昇気流に

【26】決戦直前!ナインに闘魂注入

【27】2009WBC ファンの期待に武者震い

【28】WBC不振立ち直りのきっかけはバント

【29】足首の痛みをごまかした後悔

【30】東日本大震災で生き方が変わった

【最終回】独立リーグで社会人として日々勉強


☆いわむら・あきのり=1979年2月9日生まれ。愛媛県宇和島市出身。右投げ左打ち。宇和島東高3年時に全日本選抜で4番を務める。96年ドラフト2位でヤクルトに入団。2001年の日本一に貢献する。04年には44本塁打をマークし、04~06年には3年連続で3割30本を達成した。07年にデビルレイズ(現レイズ)に移籍。08年には主力として、球団初の地区優勝、ワールドシリーズへと導く。その後、パイレーツ、アスレチックスを経て、11年からNPBに復帰。楽天で2年、ヤクルトで2年プレーした後に15年からルートインBCリーグ・福島ホープスで選手兼監督を務め、現在は代表も兼務する。座右の銘は「何苦楚魂」。