急死・レスリング五輪金メダリスト伊達治一郎さんの豪快な怪物伝説

2018年02月23日 16時30分

故ジャンボ鶴田さん(左)を激励する伊達さん(1977年3月)

 まさかの訃報が衝撃を呼んだ。自宅で転落死したことが22日に明らかになった、レスリングの1976年モントリオール五輪金メダリスト・伊達治一郎さん(享年66)を惜しむ声が関係者から驚きとともに語られた。

 伊達さんの死は出身校の国士舘大が発表。20日午後8~9時ごろ、都内の自宅で亡くなった。

 伊達さんは国士舘大3年時の72年、同大初の五輪選手としてミュンヘン五輪に出場した。グレコ74キロ級で3回戦敗退だったが、フリー74キロ級で参加したモントリオール大会で優勝。7戦全勝のうち6試合がフォール勝ちだった。74キロ級は日本が獲得した金メダルの中で最も重い階級になる。

 80年モスクワ五輪も日本代表の座を勝ち取ったが、日本選手団のボイコットで“幻の代表”に。引退後は92年バルセロナ五輪などで代表チームのコーチを務めた。

 海外事情にも詳しく、ハワイでアメリカンフットボールとレスリングをしていた横綱武蔵丸(46=現武蔵川親方)を、元横綱三重ノ海(70=元武蔵川理事長)が当時師匠だった武蔵川部屋につないだ。同部屋の公式サイトには、「今はただ、言い尽くせぬ程の感謝の気持ちでいっぱいです」という追悼文が掲載されている。

 レスリング関係者からは驚きと惜しむ声が聞かれた。「足腰が強く、タックルで相手の片足を持ち上げて落とす。モスクワに出ていたら連覇できたでしょう」(元国士舘大監督・滝山将剛氏)。モスクワ“幻の代表”でロサンゼルス五輪金メダルの富山英明氏(60)は「独特の強さがあり、豪傑で繊細さもある人だった」と振り返る。

 大分・佐伯農業高校時代は、同じ52年生まれで青森・八戸電波工業の吉田栄勝さん(吉田沙保里の父、故人)らと「高校三羽ガラス」と呼ばれた伊達さん。モントリオール五輪でともに金メダルを獲得した高田裕司・日本レスリング協会専務理事(64)は「豪快な人で、我々は『怪物』と呼んでいた。後輩の面倒見がよく、飲みに行けば朝までだった」と語り、「寂しいです」と急逝を惜しんだ。

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