1976年のモントリオール五輪のレスリングで金メダルを獲得した伊達治一郎(だて・じいちろう)さんが20日に死去していたことが22日、出身校の国士舘大学から発表された。66歳だった。死因は転落死。葬儀は親族のみの密葬により営まれる。

 発表によると死亡時刻は20日午後8~9時とみられ、都内の自宅で亡くなっていた。

 伊達さんは大分県の佐伯農業高校を卒業後、国士舘大学に進学。在学中の72年にミュンヘン五輪に出場し、グレコローマン74キロ級で3回戦敗退。卒業後は同大の助手を務め、モントリオール五輪にはフリースタイル74キロ級で出場し、計7試合のうち6試合でフォール勝ちという圧勝で金メダルに輝いた。

 80年モスクワ五輪も同級で日本代表の座を勝ち取ったが、日本オリンピック委員会(JOC)のボイコットのため“幻の代表”に終わった。軽量級の金メダルが多かった日本選手にあって、日本が弱いとされた中・重量級に金メダルをもたらした。

 引退後は日本代表チームの指導者として92年バルセロナ五輪などに参加した。米国のスポーツ事情にも詳しく、ハワイでアメリカンフットボールとレスリングの選手だった横綱武蔵丸(46=武蔵川親方)を、当時元横綱三重ノ海(70=元武蔵川理事長)の武蔵川部屋に紹介。しこ名の考案にも関わった。