【ネバダ州ラスベガス9日(日本時間10日)発】レスリング世界選手権3日目(オーリンズ・アリーナ)、女子53キロ級で吉田沙保里(32=ALSOK)が金メダルに輝き、世界16連覇と個人戦200連勝を達成した。リオデジャネイロ五輪出場を事実上決めた吉田は試合後、珍しく号泣。強気な絶対女王が流した涙の裏には何があったのか。母・幸代さん(60)が本紙に秘話を明かした。

 五輪3連覇を果たしたロンドンでも泣かなかった吉田が、人目もはばからず涙を流した。「今回は苦しかった」。前人未到の大記録を打ち立てたのなら、もっと喜んでいいはず。しかし、女王らしい笑顔が見られたのは表彰式になってからだった。

 ギリギリの戦いだった。決勝の相手は3大会連続でソフィア・マットソン(25=スウェーデン)。2―1で下したが、徹底的に研究され、なかなかタックルが決まらなかった。準決勝のチョン・ミョンスク(22=北朝鮮)戦も大苦戦。弱気にならなかったことが世界選手権13連覇につながったが、いずれも薄氷の勝利だった。

 これが現実――。そのことを誰よりも分かっていたのは女王自身だ。昨年9月のアジア大会の初戦では中国の鍾雪純(21)に、フォール負け寸前まで追い込まれた。だが、連勝は続き、周囲の期待はさらに膨らんだ。そうしたなか、母の幸代さんは吉田から大きな“変化”を感じ取っていた。

「弱気なことを言うようになってきたんです。『足が動かなくなってきたから、おばちゃん、大変なんや』とかね。今まではそんなこと絶対言わなかったし、オリンピックを除けば『緊張する』という言葉も言わなかった。つらかったと思いますよ」(幸代さん)

 足が動かなくなれば、得意のタックルが満足に放てなくなる。吉田は今季、タックル一辺倒ではなく、がぶりを強化して戦法を変えた。相手の裏をかく一方で、トップ選手としての絶望的な状況を少しでも回避する意図があったのだ。

 年を重ねるごとに、コンディションの調整も難しくなっている。「自分の体を維持するのが大変だと思うんですよ。練習を2時間やると、ポンとやめる。それ以上やると(疲労が)蓄積しちゃうみたいなんです。他の子たちは練習しているんですけど」。もともと疲れやすく、乳酸がたまりやすい体質だ。量より質の練習は亡き父・栄勝さんの教えだが、その分、内容は男子顔負けの過酷さとなり体への負担も大きい。

 それでも吉田は肉体にムチ打ち、執念で接戦を制して新たな金字塔を打ち立てた。リオでは五輪4連覇と世界17連覇の偉業を目指す。残り11か月の過ごし方について「体力を落とさないようにする。タックルに入る前のいなし、動き、そういったところで勉強したい」と早くも課題克服に意欲を燃やした。

 危機感と人並み外れた向上心。幸代さんは最後にこう付け加えた。「主人が遺言のように残していたのは『いいところで辞めさせてくれ』ということ。ボロボロに負けた姿は見せたくないと思うし、引き際も大事。(吉田は)自分の身の引き方も考えていると思う」

 栄勝さんはこのメッセージを吉田に直接伝えなかったが、吉田本人がこれを一番理解している。天国の父のために、リオ五輪までぶざまな姿はさらせない――。涙の裏には世界最強女王の意地と誇りがあった。