【山本美憂もう一息!(23)】カナダ代表として2016年リオデジャネイロ五輪出場を目指したものの、予選会出場が認められず断念。この先何をしようか考えていた矢先、弟のノリ(徳郁さん)からショックな報告を受けました。胃にがんが見つかったというのです。発覚当時はそこまで進行していなかったので、しっかり治療をしようと話し合いました。

 姉としてはとにかく心配でした。昔からケンカもしましたが、後は引かず仲良し。中学生のころは渋谷まで一緒に買い物に行ったり、高校生になって自分の部屋があっても、いつも私の部屋で一緒にいて。2人でハードロックからヒップホップ、レゲエなどを聴いていました。別々にいるのは不自然なぐらいでした。

 お姉ちゃん思いのところもあって、高校生のころ、私がやんちゃで土曜の夜にこっそり家を抜け出し、六本木のクラブに出かけては日曜の朝までに帰っていたんです。父(郁榮さん)も母(憲子さん)も知らない。いつも朝、内緒でベランダを開けてくれていたのはノリでした。互いに家族を持ってからも、子供の世話など何かあるとお姉ちゃんを頼ってくれていた。大事な弟を、病魔が襲うなんて…。

 ノリはおとなしくて優しい子でしたが、昔から自分の悩みを一切相談しない性格でした。そうやって自分で抱えてストレスをためるから、胃の病気になってしまったのかもしれません。もっとお姉ちゃんとして何かしてあげていたらよかったと、落ち込みました。

 とにかくノリのそばにいたかった。病気を治すお手伝いをしたい。姉としてできることをすべてやりたかった。そんな時、もともと興味があった総合格闘技(MMA)に挑戦することを思い付いたんです。レスリング選手ではありましたが、ボクシングも大好き。ノリもそうでしたがナジーム・ハメド(※1)やマイク・タイソン(※2)の試合をよく見ていました。私がMMAをやれば、ノリがコーチになるので近くにいられる。長男のアーセンもハンガリーから帰国してノリの指導でMMAを始めていたので、家族が一緒になる。これはもうやるしかない。16年夏、MMA転向を表明しました。

 ノリは、私が自分の近くにいるためにMMAを始めたことは知りません。打撃があることが気になったようで最初はすごく反対されました。「打撃をやらないで、グラップリングでもいいじゃん」と。でも私が本気だと分かると姉としてではなく、師匠と弟子の関係で真剣にコーチをしてくれるようになりました。

 そしてデビュー戦の相手が決まりました。

※1 元世界フェザー級3団体統一王者 ※2 元世界ヘビー級3団体統一王者

 ☆やまもと・みゆう 1974年8月4日生まれ。神奈川県出身。72年ミュンヘン五輪代表の父・郁榮氏の影響で小2からレスリングを始める。87年に中1で女子初の全日本選手権を制覇(44キロ級)し、47キロ級も含め5連覇。同選手権では計8度の優勝を誇る。91年、年齢制限のある世界選手権に特例で出場し史上最年少の17歳で優勝。94、95年も世界を制した。2016年にMMAに転向し「RIZIN」で女子格闘技をけん引。3人の子を持つ母。156センチ。