【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(21)】1997年7月12日。元プロレスラー・アニマル浜口氏の長女、浜口京子がフランス・クレルモンフェランで行われた世界選手権75キロ級で初優勝した。本来は心優しくおっとりした“京子ちゃん”が、父の指導で野獣と化し、荒々しい格闘技で世界一になった瞬間だった。創刊60周年を迎えた本紙連載「フラッシュバック」は23年前にタイムスリップ。浜口氏のプロレスラー時代の経験から生まれた「気合だ!」の名フレーズや「大声」練習法の真の狙いに迫った。京子の闘争本能に火をつけた行動とは――。 

 京子にとって1997年フランス大会は3度目の世界選手権挑戦だった。初出場した95年モスクワ大会は70キロ級13位。96年ブルガリア大会は同7位。過去2大会、浜口氏は日本から愛娘を見守っていた。

 浜口氏 96年、浅草のジムで練習していると、京子がブルガリアから帰ってきました。世界女王のノードハーゲン(カナダ)に敗戦。「おい、ノードハーゲンに力負けしなかったか?」と聞くと、京子は「していないよ。投げにやられた」と言いました。私は「力負けしていないなら次はいける」と確信しました。

 日本協会から依頼され、特別コーチとして京子の世界選手権に初めて同行した。その行動はクレルモンフェランの会場で海外勢の度肝を抜いた。「気合だ~オラ!」「行くぞ! 行くぞ!」と会場中に響き渡る大声を張り上げたからだ。京子も負けていない。約1分間のサーキットトレーニング(もも上げや腹筋などを速いリズムで行う)で「お~~!」と腹の底から大声を出した。各国の陣地争いになる練習マット。それまでアグレッシブな外国勢に占領されがちだった日本が、浜口氏効果で隅に追いやられなくなった。しかし、浜口氏の狙いはライバルを威嚇するためではない。親子のトレードマークである気合や大声には、深い理由があった。

 浜口氏 プロレスでの経験です。これまでいろんな会場、体育館、道場を巡りましたが、中には空気がよどんでいる場所があるんです。「邪気」があるというのですかね。そういうところでは不思議とケガをしてしまうんです。私は会場入りすると、まず大声を出して、邪気を払うようになりました。仁王さんのように、にらみを利かせるという感じでしょうか。そしてこれもプロレスで学んだ練習法ですが、腹の底から声を出しながら息を上げると、雑念、邪念、恐怖心、不安が消えていくんです。丹田から大声を出すのは、大切なことなのです。

 会場の邪気を払うと、試合で戦うライバルに目を向けた。この年から京子は階級を最重量級の75キロ級に上げていた。170センチの京子が試合で戦う相手は、見上げるような怪物だらけ。弱気になりそうになった時、ボディービルダーとしても活躍した筋肉のプロ・浜口氏はある行動に出た。

 浜口氏 練習をしていると、ラジカセで音楽を鳴らしながら地元フランスが入ってきた。75キロ級の選手は2メートル近くあるほど大きい。そして中国。スパーリングで京子が両鼻から鼻血を出した様子を、5度世界を制している劉東風がだらりと寝そべりながら、ニヤリと見ている。立ち上がると185センチはある。「世界はなんとすごいのか」と思いました。果たして本当に強いのか。ライバルたちの筋肉密度を見たくて、計量の時、試合着になった彼女たちにそっと近づいて一人ひとり筋肉をチェックしました。明らかに京子が一番密度が高かった。劉は減量がきつく、動けなかったから寝そべっていたと分かった。「おい、京子が一番筋肉がついているぞ! お前以上に苦しい練習をしてきたやつはいない」と京子を勇気づけました。

 自信を持った京子は1、2回戦をフォール勝ち。3回戦では浜口氏の読み通り、スタミナが切れた劉を引き落としで崩し、圧巻のフォール勝ちで翌日の決勝に進出した。相手は米国のクリスティー・ステングレイン(マラノ)。同年の日本勢は不振で、京子の75キロ級を残し、金メダル0の大ピンチ。団体優勝も京子にかかっていた。のしかかる巨大なプレッシャーに打ち勝つよう、浜口氏は最後に仕上げを行った。京子が猛獣に変わる魔術だ。

 浜口氏 試合前、控室で椅子に座りスタンバイする京子はじっと動かなかった。「腹を決めたな」。勝つと思いました。決勝開始のアナウンスが流れる。名前を呼ばれ、花道を歩きだす京子。私はマットに向かって歩く娘の耳元でつぶやき続けました。「野獣になれ、京子。目いっぱい目ん玉をひんむけ、男を超えろ、女を超えろ、人間を超えろ! 野獣になれー!」

 マットに上がった京子はパワー全開。グラウンド戦ではハーフネルソンでステングレインを絞り上げ、相手の上体を反転させるなど力技で圧倒した。4―0で勝利。最重量級世界女王だ。

 浜口氏 報道の方たちに「肩車!」とせかされ、私はマットに上がり、娘を担ぎ上げました。会場では「YMCA」の軽快な音楽が流れだした。「なんて素晴らしい世界なんだ」。当時京子19歳、私が50歳になる年。ここから本当の戦いがスタートしたのです。

「京子世界一」はレスリングでは珍しく、本紙を含めスポーツ紙5紙が1面で報じるビッグニュースだった。京子はこれを含め世界を5度制し、3度の五輪で2つの銅メダルを獲得した。浜口氏はジムを主宰する傍ら、プロレス時代に故障や体調不良と戦ってきた経験から、「笑いビクス」など独自の健康法を編み出してきた。当時を振り返りながら、浜口氏は新型コロナウイルスと戦う今だからこそ、思うことがあるという。

 浜口氏 丹田、腹から大声を出すと、すっきりします。冷静沈着、落ち着けるんです。上げて下げる。交感神経、副交感神経が切り替わり、自律神経が整う。健康になれるんです。「ワハハ、ワハハ」やお経のようにリズムに乗って言葉をつなぐのもいい。でも今、大声を出すことができないですよね。しかもマスクをしている。家で誰とも話さず仕事をしている人もいるでしょう。不安、邪気を払えない。健康になれない。こういう時だからこそ、誰にも迷惑がかからない場所を見つけ、腹から声を出せたらいいですね。

 そして最後はいつもの言葉で締めた。

 浜口氏 気合だ! 気合だ! 気合だ! オイオイオイ~。

 ☆あにまる・はまぐち 本名・浜口平吾。1947年8月31日生まれ。島根・浜田市出身。69年、国際プロレスに入門。83年に新日本プロレスで長州力と維新軍を結成し大ブレーク。ジャパンプロレス、全日本プロレスでも活躍した。88年、東京・浅草にアニマル浜口トレーニングジムを設立し、プロレスラーを目指す若者の指導に当たる。長女・京子のコーチとしてレスリング世界一に導いた。昨年10月、ジムを同じ浅草に新規移転オープンした。

 ☆はまぐち・きょうこ=1978年1月11日生まれ。東京・台東区出身。14歳からレスリングを始める。95年世界選手権初出場。97年同初優勝。日本女子最重量級エースとして不動の地位を確立し、5度世界を制した。2004年アテネ五輪、08年北京五輪72キロ級で2大会連続銅メダル。12年ロンドン五輪11位。全日本選手権は史上最多の16度優勝を果たしている。