プロレス目指していた浜口京子

2010年11月28日 14時10分

【東スポ創刊50周年企画「時空自在」:アニマル浜口(2)】


<浜口京子の話>父にあこがれてプロレスラーになりたいと思い、母に「レスリングで基本を覚えなさい」と言われ、15歳で始めた。父がプロレスラーでなければ、私も違う道に入っていたかもしれない。父の娘であったからこそ、17年間続けてこられた。

 北京五輪に向かう道は厳しく、つらかった。前年の世界選手権が9位で五輪出場権を逃し、アジア選手権(08年3月、韓国・済州島)で優勝して獲得しなければいけなくなった。プレッシャーに押し潰され、試合ができる状況ではないほど落ち込んだ。

 そこから「自分がしっかりしなければ」と奮い立った。五輪は自分だけの夢ではない。家族、応援してくれる人たちの夢でもあると。苦しかったその分、五輪に出られる喜びも一番感じた。

 決勝で勝った後、応援席へ行ったら父が大泣きしていたのが印象的だった。父もプレッシャーがかかっていたし、それだけうれしかったんでしょう。父が泣いたところはそれぐらいしか見たことがない。

☆あにまる・はまぐち=本名・浜口平吾。1947年8月31日生まれ。島根県浜田市出身。17歳でボディービルを始め、69年に国際プロレス入り。81年の団体崩壊後は新日本、全日本などに参戦して人気を博した。87年に引退(後に一時復帰)。88年、東京・浅草にトレーニングジムを開設。91年にはジム内にプロレスラーを育成する「浜口道場」を設け、小島聡、大谷晋二郎ら数多くのプロを輩出した。現役時代は175センチ、103キロ。