大鵬“元祖アイドル力士”の苦悩

2013年01月24日 10時00分

 心室頻拍のため19日に72歳で死去した元横綱大鵬の納谷幸喜氏は、高度成長期の日本社会を象徴する人物であった。不世出の大横綱は相撲の強さもさることながら、土俵外でも多くの伝説を残した。過去の文献などからエピソードを探った。

 大鵬が初土俵から3年あまりのスピード出世で幕内力士となった1960年、日本は日米安全保障条約の改定をめぐり揺れていた。初場所で新入幕を果たした大鵬は、名古屋場所で小結に昇進。相撲評論家小坂秀二氏の雑誌「昭和天皇と昭和の名力士100人」への寄稿によると、この時初めて後援会が結成され、東京・赤坂のホテルで開かれた発会式に岸信介首相(享年90)が姿を見せた。

 この年の名古屋場所は6月末から7月にかけて行われた。時あたかも安保反対闘争がピークに達したころ。反対派の標的だった岸首相が、20歳になったばかりの力士のために足を運んだ。小坂氏は「この大鵬という力士は、かかる時に一国の首相を呼び寄せるほどの器なのだという思い」もしたと記している。岸氏は安倍晋三首相(58)にとっては母方の祖父になる。

 その小坂氏は自著「昭和の横綱」で、色白の美男子の大鵬を「力士がアイドルになった最初の人である」と書いた。若い女性ファンが群がり、相撲ファンならぬ「大鵬ファン」が出現。それまでの角界にはなかった現象だった。

 実際、大鵬の人気を表現する上でしばしば語られるのが「取組の時間になると女湯がガラガラになった」。女湯ガラガラ伝説といえば、52~53年に放送された連続ラジオドラマ「君の名は」がその代表例だが、出世街道をひた走った時期の大鵬人気は国民的番組に匹敵したわけだ。しかし後年は強すぎて国技館に閑古鳥が鳴くという、相撲不人気時代も訪れた。