元横綱千代の富士の九重親方が31日、すい臓がんのため急死(享年61)。現役時代には肩の脱臼癖を克服するために筋骨隆々の体をつくり上げ、小兵ながら圧倒的な瞬発力とスピードで大型力士を手玉に取った。獲物を狙う狼のような鋭い眼光から「ウルフ」の愛称でファンから親しまれ、国民的な人気を博した。優勝31回(歴代3位)をはじめ、53連勝(同3位)、通算1045勝(同2位)など数々の記録を打ち立てて一時代を築き、1989年には相撲界では初めてとなる国民栄誉賞を受賞した。

 引き際も印象的だった。91年夏場所初日に新鋭の貴花田(のちの横綱貴乃花)に敗れると、3日目に貴闘力に負けた夜に会見を開いて現役引退を表明。涙を浮かべながら「体力の限界…。気力もなくなり引退することになりました」との“名言”を残して潔く土俵を去った。

 引退翌年の92年には九重部屋を継承。数多くの弟子を関取に育て上げ、大関千代大海は3度の優勝を果たした。

 2008年には日本相撲協会の理事に初めて就任。広報部長や審判部長などを歴任し、12年からは協会のナンバー2にあたる事業部長の要職を務めた。しかし、14年の理事選では親方衆の支持が広がらずにまさかの落選。その後は大横綱でありながら、役員待遇さえも与えられない“不遇”の時期が続いた。実績の面で見れば本来は理事長になってもおかしくはなかったが、最後まで協会トップの座に就く機会はなかった。

 それでも、角界に多大な功績を残した「千代の富士」の名は永遠に色あせることはない。現役時代の活躍で大相撲のファン層の拡大に大きく貢献した。師匠としても卓越した手腕を発揮し、現役関取6人は角界最多を誇る。定年まであと4年を残して天国へと旅立った九重親方。相撲界は、あまりにも大きな存在を失った。