「短命上等」だ。大相撲秋場所千秋楽(26日、東京・両国国技館)、新横綱照ノ富士(29=伊勢ヶ浜)が大関正代(29=時津風)を寄り切り、13勝2敗で2場所ぶり5回目の優勝を果たした。新横綱Vは15日制以降では大鵬、隆の里、貴乃花、稀勢の里に続く5人目。横綱白鵬(宮城野)が全休する中、新横綱が初日から一人横綱を務めて優勝するのは戦後初の快挙となった。その照ノ富士は両ヒザの故障を乗り越えたことで〝大横綱のメンタリティー〟を備えていた――。


「新横綱」と「一人横綱」の2つの大役を果たした照ノ富士は「ホッとしています。(一人横綱で)場所を引っ張っていかないといけないという気持ちでやっていた。(優勝して)結果的に良かった」と安堵感を漂わせた。新横綱Vは15日制以降では5人目。白鵬が部屋に新型コロナウイルス感染者が出た影響で不在の中、綱の威厳を一人で守り抜いた。

 両ヒザの故障で大関から一時は序二段まで転落。どん底から番付の頂点に上り詰め、横綱として初優勝も達成した。伊勢ヶ浜部屋と深い親交がある神奈川・出雲大社相模分祀の草山清和分祀長は、横綱昇進の伝達式の際に照ノ富士が発した言葉が今も耳に残っている。

「(後援会の)関係者が横綱に『序二段は楽勝だったのでは?』と聞いていたんですよ。しかし、横綱は『いえいえ、そんなことないですよ。実際に(優勝決定戦で)負けていますし、大変でした』と。私も(元大関の実力を考えれば)そこは難なく乗り越えていたと思っていたので、すごく印象に残っていますね」

 序二段に転落した当時は、ケガで満足に稽古もできないような状況。はるか格下の相手にも苦労した様子がうかがえる。それだけに、今の姿に草山氏は「多くの人に勇気を与えていると思います」と感慨深げな表情を浮かべた。

 一度「地獄」を見た照ノ富士は、新横綱でありながら大横綱に通じる精神を持ち合わせている。伊勢ヶ浜部屋・東海地区後援会の松原鉄夫会長は、照ノ富士が横綱に昇進する以前から〝引退の覚悟〟を聞かされていたという。

「大関なら8番、9番でも残れるが、これが横綱だと叩かれる。だから、(本人に)『慌てて横綱にならんほうがいいぞ』と言ったことがある。そうしたら、彼は『ヒザがいつまで持つか分からない。やれるところまでやって…』と言っていた。やはり、両ヒザの状態がアスリートとしては限界値を超えているような状態。だから、そのくらい強い覚悟でやっているんだと思う」

 力士を応援する側に立てば、少しでも長く土俵に立ち続けてもらいたいと願うのが人情。しかし、照ノ富士の考えは違った。たとえ「短命横綱」で終わろうとも、古傷が限界に達すれば潔く身を引くつもりで腹をくくっていたのだ。

 優勝32回を誇る元横綱大鵬の故・納谷幸喜氏も生前に次のように語っている。「私は横綱になった時から辞めることを考えていた。地位にふさわしい成績を残せなくなったら、引退するしかない」。照ノ富士が見せた覚悟は「昭和の大横綱」の言葉とも重なる。

 その新横綱は連覇がかかる11月の九州場所へ向けて「土俵人生はいつ何が起きるか分からない。(土俵に)上がっている以上は全力を出して、精いっぱいやっていきたい」。これからも後先を考えず、目の前の一番に集中していく構えだ。