元二所ノ関親方死去 愛された“金剛語録”

2014年08月15日 16時00分

広報部長時代の二所ノ関親方(左)は協会公式キャラクター「ひよの山」とともに相撲のPRに尽力した

 大相撲の元関脇金剛で、元二所ノ関親方の北村正裕氏が死去していたことが相撲協会関係者の話でわかった。65歳だった。関係者によると、亡くなったのは12日で、葬儀・告別式は近親者で行う。2年前に脳疾患で倒れ、闘病生活が続いていた。

 

 現役時代は軽妙な話術から「ほら吹き金剛」の異名で親しまれた。1964年夏場所で初土俵。75年名古屋場所で13勝を挙げ平幕優勝した。場所中に重圧で寝付きが悪くなると「ナポレオンの睡眠は3時間、金剛は2時間」などとユニークな語録を残した。76年9月に27歳で引退して名門二所ノ関部屋を継承。小結大善(現富士ヶ根親方)らを育てた。

 

 協会では2008年から理事に就任。10年には野球賭博問題が発覚。7月の名古屋場所は天皇賜杯授与の自粛やNHKの中継が中止となるなか、担当部長として場所の運営に奔走した。11年に八百長問題が勃発すると、広報部長として同じ二所ノ関一門で盟友の放駒理事長(元大関魁傑)を支えた。

 

 一方で、理事在任中も“金剛節”は健在だった。角界を揺るがした不祥事が一段落した時のこと。放駒理事長が薄くなった頭をなでながら「忙しくて散髪にも行けなかった。ようやく(散髪できて)サッパリした」とポツリ。もともと髪が少なく、一見しただけでは散髪したとは分かりにくいだけに周囲が当惑していると、元二所ノ関親方は「ええーっ! それで!?」とズバリ。容赦ないツッコミに、放駒理事長が絶句していたことは言うまでもない。

 

 12年11月の九州場所前に発病して入院生活に入った。部屋運営が困難になったため13年1月に二所ノ関部屋を閉鎖。定年前の昨年6月に協会を退職した。関係者によると、脳に腫瘍ができるなどの入院生活で、約10日前から会話もほとんどできなかったという。盟友の元放駒親方は5月に急死。その後を追うように息を引き取った。