大相撲春場所で3度目の優勝を果たした関脇照ノ富士(29=伊勢ヶ浜)が29日、東京・江東区の部屋でリモートによる会見を行った。

 賜杯を抱いてから一夜が明け、照ノ富士は大関復帰に向けて〝勝負の15日間〟に位置づけていた今場所を振り返る。

 優勝争いは小結高安(31=田子ノ浦)と並走した時点で意識するようになった一方、10日目には爆弾を抱えるヒザを負傷。痛み止めの注射を打ちながら土俵に立っていた。それでも「1日の中で治療から何からベストを尽くすということを意識してましたから、それで勝てなかったからもうしょうがないことですし、それが白星につながっているということはよかったかなと」と、悲観していたわけではなかった。

 2015年夏場所の初優勝後に初めて大関昇進を決めたが、その後は両ヒザの故障や内臓疾患などで一時は序二段まで陥落。そこから血のにじむような努力で大関復帰を確実にした照ノ富士は「病気になって、ケガで車いすでいるときに一日一日が自分の中では戦いというか、必死に生きようとしている自分がいて。だからこそ一日の大切さはそのときに学びました」と明かす。

「恥ずかしい姿をいつまでも見せられないという思いがあった」と話すように、現役引退が頭をよぎったこともある。だが、師匠の伊勢ヶ浜親方(60=元横綱旭富士)と相談を重ねて復活を目指してきた。「もう一回できるんだという気持ちにしてくれたのは、親方、おかみさん、家族、まわりの方たちなのでその支えのもとで今にたどり着いたかなと思います」

 そんな当時の自分に言葉を掛けるとすれば――。報道陣の問いかけに、照ノ富士は「そのときは常に親方が声掛けてましたので、自分の一言は多分耳に入らないと思います」ときっぱり。師弟の信頼関係はこの先も揺らぐことはなさそうだ。