鶴竜引退…朝青龍の〝パシリ〟から上り詰めた優等生横綱が最後に見せた本音「疲れました」

2021年03月25日 05時15分

引退を決めた鶴竜
引退を決めた鶴竜

「優等生横綱」が土俵を去った。大相撲春場所11日目(24日、東京・両国国技館)、横綱鶴竜(35=陸奥)が現役引退を発表した。今場所は左足のケガで5場所連続休場。昨年は1場所しか皆勤できず、横綱審議委員会(横審)からは「注意」を決議されていた。日本相撲協会は理事会で年寄「鶴竜」の襲名を承認。今後は陸奥部屋付きの親方として後進の指導にあたる。朝青龍の〝パシリ〟から横綱にまで上り詰めた土俵人生。本紙がキャッチした数々の秘話を一挙公開する。

 誰からも愛された心優しき横綱が、現役生活に終止符を打った。昨年は度重なるケガで5場所のうち4場所で休場。横審からは昨年11月場所後の会合で、休場の多さを理由に引退勧告の次に重い「注意」を決議された。春場所で進退をかける意向を示していたものの、場所前の稽古で左足を負傷して5場所連続休場。角界内外からの批判は頂点に達していた。当初は師匠の陸奥親方(61=元大関霧島)に現役続行の意思を伝えていたが、ついに引退を決断した。

 この日、鶴竜が関係者に送ったメールには「いろいろとお世話になりました」などと感謝の思いがつづられる一方で、文章の後半には次のような言葉が記されていたという。「疲れました」――。これまで窮地でも弱音を吐かなかった横綱が初めて見せた本音。鶴竜の古くからの知人は「(現役を)続けるべきか、やめるべきか。根がまじめだから、ずっと葛藤があったのだろう」と胸中を代弁した。

 モンゴルから2001年に来日し、井筒部屋へ入門。きまじめさからか、若いころは横綱の朝青龍を頂点とするモンゴル出身力士のグループ内で〝雑用係〟のような役目を負わされた時期もある。それでも、文句を言わないのが鶴竜という男。稽古場で朝青龍に徹底的にしごかれても、ジッと耐え続けて力を蓄えていった。後に鶴竜は「稽古して強くなれば、やられない。だから自分から稽古するしかなかった」と当時を振り返っている。

 多い時は稽古で50番近く相撲を取る努力が実り、大関で初優勝した14年春場所後に第71代横綱に昇進。大横綱の白鵬(36=宮城野)の陰に隠れがちだったものの、残した実績は決して恥ずべきものではない。日馬富士、稀勢の里(現荒磯親方)を含めた4横綱時代の一角を担い、最終的には6度の優勝を積み重ねた。

 一方で、果たせなかった目標もある。白鵬が東京五輪開催までの現役続行を公言する中、実は鶴竜も同じ夢を抱いていた。今から4年前、九州場所前の横綱会の2次会で白鵬、稀勢の里とともに「東京五輪まで3人で現役を続けよう」と意気投合。呼びかけたのはほかならぬ、鶴竜だった。しかし、五輪本番まであと4か月というところで、とうとう力尽きた。

 かねて現役引退後は日本相撲協会に残って指導者になることを希望していた。一昨年の秋場所中に前師匠の井筒親方(当時、元関脇逆鉾)が急死した際には、千秋楽に集まった後援者らの目の前で「将来は自分が『井筒』を継ぎます」と宣言していた。昨年12月には念願だった親方になるために必要となる日本国籍を取得。懸案がなくなったことも、最後の決心を後押しした。

 鶴竜の引退を受けて、日本相撲協会の八角理事長(57=元横綱北勝海)は「まじめな横綱だった。休場も多かったけど、よく頑張った」とねぎらいの言葉。ライバルだった荒磯親方も「内側にある情熱がすごかった。弱い姿を見せずに土俵を去るというのも、鶴竜関らしくてかっこいいと思う」とたたえた。また一人、平成の土俵を盛り上げた名力士が土俵を去った。

関連タグ:

ピックアップ