【取材のウラ側 現場ノート】29日未明に誤嚥性肺炎のため82歳で死去した大相撲の第49代横綱栃ノ海の花田茂広さんは、元横綱らしくない気さくな方だった。

 現役時代は小兵ながら速攻相撲で横綱にまで上り詰め、引退後は名門の春日野部屋を継承。春日野親方として日本相撲協会では理事に就き、巡業部長の要職も務めた。親方が巡業を率いていたころは、若貴フィーバーの真っ盛り。日本中どこへ行っても会場に多くの観客が詰めかけ、異様な熱気に包まれていた。

 取り仕切る巡業部はピリピリムード…と思いきや、そんなことはない。記者が話をうかがうために部屋を訪れると「東スポか、まずは食えよ」と、よくまんじゅうを出してくれた。見識不足の質問には「それはおかしいぞ」と、人気を博したテレビ解説のように説明してくれる。記事の内容に不満でいきなり怒鳴られたこともあったが、その際もなぜ自分が怒っているのか〝解説〟があった。

 当時の親方衆、特に元横綱陣はコワモテが多く、取材に応じても「オレは現役時代、東スポに何度殴り込んでやろうと思ったか」「どうせ相撲に関係ないこと書くんだろ。相撲記者ってのはな…」などとほぼほぼ〝説教〟だったが、春日野親方だけは違っていた。

 極めつけは先輩記者から「相撲部屋に体験入門してこい」と無理難題を命じられた時のこと。他にあたるところもなく、意を決して春日野部屋を訪れると…「いいよ」と拍子抜けするくらい簡単な返事。その翌朝からまわしを締め、稽古場に下りて四股を踏むことになった。2泊3日の最終日には「試しにやってみるか」と部屋頭の栃乃和歌関(現春日野親方)の胸を借りてぶつかり稽古まで体験させてもらった。

 伝説の名横綱・栃錦を師に持つ親方としては弟子の育成と同様に、角界のため「記者も指導していく」という思いがあったのかもしれない。〝師匠〟には本当に感謝しかない。合掌。(運動部デスク・初山潤一)