日本相撲協会の前理事長で元大関魁傑の西森輝門氏が18日、死去した。この日午後2時ごろに東京近郊のゴルフ練習場で気分が悪くなり、救急車で緊急搬送されたが、午後3時すぎに都内の病院で死亡が確認された。66歳だった。

 相撲協会の北の湖理事長(元横綱)は「懐が深くてうまい相撲だった。優勝決定戦で負けたこともある。長年対戦しているし、思い出もある。勇退されて元気でいると思っていた。残念」と突然の死をいたんだ。

 また、弟子で元横綱大乃国の芝田山親方(51)は「体調を崩していたとか、そういうことはないと思う。場所前は、普通に電話がかかってきたから…」と言葉を失った。

 西森氏は1966年に日大を中退して花籠部屋に入門。同年秋場所で初土俵を踏んだ。71年秋場所で新入幕。74年九州場所は小結で初優勝を果たした。75年春場所から大関に昇進。翌年に大関から陥落して前頭まで番付を落としたが、77年に2度目の大関昇進を果たすなど、不屈の闘志でファンを魅了。まじめな性格から「クリーン魁傑」の愛称で親しまれた。

 79年に現役を引退し、81年に花籠部屋から独立して放駒部屋を創設。大乃国を横綱にまで育て上げた。相撲協会内でも審判部長などの要職を歴任。2010年8月には、野球賭博問題などで引責辞任した武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)の後を受けて第11代理事長に就任した。11年2月に八百長問題が発覚した際には、3月の春場所中止を決断し、20人以上に対して事実上の追放処分を下した。

 一方で、協会トップとして公益法人化に尽力した。12年初場所から顧問に退き、昨年初場所を最後に定年退職した。