名大関の素顔とは――。大相撲の元大関琴奨菊(36=佐渡ヶ嶽)が現役を引退し、年寄「秀ノ山」を襲名した。がぶり寄りを武器に看板力士となり、2016年初場所で日本出身力士として10年ぶりに優勝。最後の仕切りの前に大きく背中を反らせる「琴バウアー」が代名詞となり、人気者になった。引退会見(15日)では「できることはすべて土俵に置いてきた」と語り完全燃焼で土俵を去ったが、琴奨菊を誰より取材してきた本紙記者が現役時代の“秘話”を一挙公開する。

 現役最後の相撲となった11月場所6日目(13日)の夜、琴奨菊からのメールが記者に届いた。「いろいろ考えましたが、現役生活をここで終わりにします」――。生真面目な元大関らしく、これまでの感謝の思いなどがつづられていた。

 9月の秋場所で負傷した左ふくらはぎは思うように回復しなかった。今場所は何重にもテーピングを施して15年ぶりに十両の土俵に上がったが、本来の相撲とは程遠い内容。「体が言うことを聞かない」と最後は潔く引退する道を選んだ。

 自らの相撲道を追求すると同時に、誰よりもファンの存在を第一に考える力士だった。春場所を控えた2月下旬。当時の角界は新型コロナウイルス禍で大揺れだった。無観客開催か、中止か。若手や中堅力士を中心に「無観客でやるぐらいなら中止にしたほうがいい」との声が相次ぐ中、琴奨菊は迷うことなく言い切った。「無観客でも絶対にやるべきだと思う。テレビ(中継)だけでもいい。見ている人たちに伝わるものがあるはず」

 実際、琴奨菊は春場所の開催を信じて疑わなかった。日本相撲協会は3月1日、史上初の無観客開催を決定。その数時間前、琴奨菊は兵庫・尼崎市の田子ノ浦部屋宿舎にいた。元横綱稀勢の里の荒磯親方(34)と三番稽古を敢行。ベストの状態で土俵に立つために、現役時代にしのぎを削り合ったライバルと無心でぶつかり合った。

「勝ち負けも大事だけど、それ以上に力士が全力で戦う姿を見てほしい」。元大関、しかも優勝経験者では数少ない十両の土俵に上がった別の理由が、ここにある。自らの信念を最後まで貫き通した。

 取材で接するようになってから10年あまり。地方場所では宿舎近くの銭湯や温泉に一緒につかるのが恒例で、文字通り“裸の付き合い”をさせてもらった。振り返れば、土俵だけでなくプライベートでも山あり谷ありだった。2012年秋に一般女性と婚約を発表したが、わずか3か月で婚約を解消。今だからこそ明かせるが、関取の自宅のコタツで向き合いながら相談に乗った。

 どん底に沈んでいた姿を間近で見ていただけに、後に祐未夫人と結ばれた時には、こちらも心から幸せな気分になった。その夫妻の食事に同席させてもらったことがある。祐未夫人は細やかな気遣いができて、よく機転も利く。将来は立派なおかみさんになるに違いないと勝手に想像をめぐらせたものだ。琴奨菊の次の夢は独立して部屋を構えること。夫婦二人三脚で横綱を育てる夢に向かっていくはずだ。

 律儀で義理堅い男でもある。16年初場所で初優勝した当時、記者の父親は病床に伏していた。琴奨菊は「自分に何かできることがあれば」と言って、優勝の日付を入れたサイン色紙を贈ってくれた。大の相撲好きだった父は、色紙を手にしてから1週間後に他界。最後の“冥途の土産”には、今でも感謝している。

 現役生活にはピリオドを打ったが、親方として歩む第2の相撲人生はここからが始まり。今後の一層の活躍を願ってやまない。