第48代横綱大鵬 21歳で自覚していた横綱の矜持 口上のときから辞めることを覚悟

2020年11月08日 10時00分

1969年夏場所の大鵬㊨―柏戸戦

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(29)】大相撲の第48代横綱大鵬。1961年11月の九州場所で新横綱として賜杯を抱き、71年5月の夏場所で引退するまでの約10年間にわたって番付の頂点に君臨し続けた。優勝32回、史上初の6連覇達成など数々の偉業を達成した「昭和の大横綱」は、どのような信念を持ちながら土俵に上がっていたのか。そして、現役生活の晩年に見せた横綱としての矜持とは…。生前に本紙に語っていた言葉から振り返る。

 1961年11月12日。大相撲の本場所に昇格してから5年目を迎える九州場所(福岡スポーツセンター=当時)で、大鵬は横綱としての第一歩を踏み出した。同じ新横綱の柏戸と2敗同士で14日目に対戦。大鵬が柏戸をつり出して大一番を制すると、千秋楽も大関北葉山を退けて3連覇を達成した。栃錦と若乃花(初代)の「栃若時代」に代わる「柏鵬時代」が本格的に幕を開けた。

 その2か月前、9月の秋場所で2連覇を果たした大鵬は史上最年少(当時)の21歳3か月で横綱に昇進した。当時の心境を、大鵬は次のように振り返っている。

 大鵬 いろんな人から「うれしかったでしょう」などと言われたが、私は使者から伝達を受けた口上のときから辞めることを覚悟していた。横綱の地位にふさわしい成績を残せなくなったら、引退するしかない。それだけ両肩にドシッと重たいものを背負うのだ…。

 大関以下とは異なり、横綱には番付の降格がない。土俵に立てば優勝、もしくは最低でも優勝争いが求められる。横綱は引退と隣り合わせ。そのことを21歳の青年横綱は強く自覚していた。プレッシャーに打ち勝つためには、己の力を高めるしかない。大鵬はそれまで以上に日々の稽古にまい進していくことになる。

 62年名古屋場所から史上初の6連覇を果たし、66年春場所から2度目の6連覇を達成。「巨人、大鵬、卵焼き」の流行語も生まれた。しかし、どれほど優勝を積み重ねても、のしかかる重圧が軽くなることはない。時には家族の生活にも影響を及ぼすことさえあった。大鵬は象徴的なエピソードを明かしている。

 大鵬 大事な一番の前には夜も眠れない。緊張を鎮めるために酒量が増えた。食事もノドを通らなくなる。結婚してからは家族にも気を使わせた。(帰宅すると)家中がピリピリしていた。家族の皆が張り詰めているのは、子供にとって嫌なものだろう。そのせいか、3人の娘のうち特に長女は相撲が嫌いになった。

 無敵の強さを誇った大鵬も、長年の激闘で肉体が疲弊していく。67年九州場所からは5場所連続で休場した。左ヒジや両ヒザの故障が慢性化。新横綱で覚悟した「引退」の時期を次第に意識するようになる。70年の初場所後に玉乃島と北の富士が横綱に同時昇進したことも、その思いを強める一つの契機となった。

 大鵬 2人の新横綱の誕生で「これで安心して後を任せられる」と思うと同時に「このままでは辞められない」との思いもあった。私としては台頭してくる力士がいればはねのけようとする。上がってきた力士は、何としてでも私に勝とうとする。そのせめぎ合いを制して初めて「世代交代」と言えるのではないか。その時が訪れるまで、横綱を続けることが自分の務めとも考えていた。

 勝ち続ける宿命を背負っていた横綱は、最後に後輩力士へとバトンを渡す「引き際」を意識するようになる。その時が訪れたのは、71年5月の夏場所5日目だった。新進気鋭の小結貴ノ花(当時21歳、後の大関)に一気に寄られ、逆転の突き落としを狙ったところで尻から崩れ落ちた。大鵬いわく「いい若手が出てきて、いよいよ潮時だと思った。来るべき時が来た」。当時の年齢は30歳。32回目の優勝を果たしてから、わずか2場所後のことだった。

 大鵬は横綱を務めた10年間を、次のように振り返っている。

 大鵬 重圧に打ち勝つためには日々の稽古に打ち込むしかなかった。私は“天才”と言われることがあるが、実際は違う。自分自身が努力を続けてきた結果として横綱の地位に就いた。だから「おごるなかれ」と常に思う。稲穂は実れば実るほど頭を垂れるものだ。「道を究める」ということは、はっきり言って…たゆまぬ努力の積み重ねだと強く思う。

 番付の頂点に立つ者として、虚心坦懐に自己を見つめる必要性を説いた。その大横綱が土俵を去ってから、まもなく半世紀がたつ。生前の大鵬は、後輩の横綱に対して厳しくも温かいまなざしで見守っていた。今年9月の秋場所で横綱白鵬(35=宮城野)は右ヒザ手術、横綱鶴竜(35=陸奥)は腰痛のために全休。白鵬は直近6場所で4度目、鶴竜は5度目の休場となった。

 横綱審議委員会は両横綱に対して「引退勧告」などの決議を下す議論を始めている。今後の復活の成否は別にして、現役の晩年に差し掛かっていることは確かだ。昭和の大横綱の目に、今の横綱の姿はどのように映っているのだろうか。(敬称略)

 ☆たいほう 本名・納谷幸喜(なや・こうき)。1940年5月29日生まれ。樺太出身。56年秋場所に本名の「納谷」で初土俵。新十両の59年夏場所から「大鵬」へ改名した。60年初場所で新入幕、同年九州場所で初優勝。61年秋場所で優勝後、21歳3か月で当時の史上最年少で横綱(第48代)となる。62年名古屋場所から史上初の6連覇を達成。優勝32回は歴代2位。幕内通算746勝144敗。71年夏場所で引退した。2013年1月に死去。同年2月に国民栄誉賞を受賞した。

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