2016年7月31日に61歳で急死 「小さな大横綱」千代の富士の壮絶な最期

2020年07月08日 11時00分

次女の秋元梢が作ったハンバーガーを食べる九重親方(左)

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(12)】 2016年7月31日、第58代横綱千代の富士の九重親方(当時)が61歳でこの世を去った。現役時代に優勝31回など数々の記録を打ち立て、大相撲で初となる国民栄誉賞を受賞。「ウルフ」の愛称で親しまれた大横綱の急死は、角界内外に大きな衝撃を与えた。創刊60周年を迎えた本紙連載「フラッシュバック」では、亡くなる直前まで人知れず闘病を続け、自らの職責を全うしようとした「小さな大横綱」の壮絶な最期を振り返る。 

 無敵の強さを誇っていた大横綱も、病魔には勝てなかった。7月31日午後5時11分、千代の富士死去。東京・墨田区の九重部屋前は一報を受けて集まった報道陣でごった返し、警察官が駆けつけるなど騒然とした雰囲気となった。遺体を乗せて都内の病院を出発した車は夜8時すぎに部屋へ到着。出迎えた部屋付きの佐ノ山親方(現九重親方、元大関千代大海)や弟子の力士らは涙を浮かべながら師匠を部屋の中へ運び込んだ。

 現役時代は精悍な顔つきと筋骨隆々の体から「ウルフ」の愛称で親しまれた。優勝31回、53連勝、通算1045勝など数々の大記録を打ち立て、89年には角界で初めてとなる国民栄誉賞を受賞。91年夏場所の引退会見では「体力の限界…」の“名言”を残した。誰もが知る偉大な力士の死を本紙は翌日発行の終面で詳報している。見出しは「昭和の大横綱死す 本紙だけが撮っていた“最後”の勇姿」。

 亡くなる約3週間前、名古屋場所開催中に会場の愛知県体育館から出てきた時の姿を掲載した。ちょうど1年前の夏、九重親方は膵臓がんの手術を受けていた。手術後は本場所の職務に復帰し、体調は持ち直したかに見えた。記者の耳に不穏な情報が入ったのは、名古屋場所が始まる前のことだ。「九重親方の体調が危ない」――。この時点で記者は“半信半疑”だった。

 九重親方は弟子たちを率いて名古屋に入っている。本当に体調が悪いのなら、東京にとどまって治療に専念しているはずだ…。とはいえ、念のために自分の目で確認をしておかなければならない。名古屋場所2日目の7月11日、愛知県体育館の関係者駐車場で帰り際を待っていると、ただならぬオーラをまとったウルフその人が現れた。水色のジャケットにグレーのズボン姿。口元を黒いマスクで覆った顔の輪郭はやせ細っていた。ただ、眼光は現役時代と変わらぬ鋭さを保ち、人の手を借りずに確かな足取りで迎えの車に乗り込んだ。記者が受けた印象は「想像していたよりも、しっかりしている」。

 しかし実際には、すでに体は重い病にむしばまれていた。再びがんが進行し、胃や肺などにも転移していたのだ。

 4日目の13日には体調が急変。監察の職務中に机に突っ伏して動けなくなるほど症状は悪化していた。翌14日に入院のため緊急帰京すると、わずか2週間あまりで帰らぬ人となった。結果的に、記者が事前に得ていた情報は間違ってはいなかった。ただ、まさかここまで早く亡くなってしまうとは…。

 後から振り返ると、名古屋に来た時点で相当に無理を押していた状態だったに違いない。病を悟られまいと気丈に振る舞い、懸命に自らの職責を全うしようとしていたのか。記者にとっても、あの時に見た姿が文字通り「最後」となってしまった。

 大横綱の突然の死は大きな衝撃を与えた。訃報の翌日に九重部屋を訪れた日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「“本当なのか?”と思った。現役のころから絶対に負けない人。病気にも勝つんだろうなと考えていた」。現役時代の師匠で元横綱の北の富士勝昭氏も「快方に向かっているとばかり思っていた。まだまだ協会に力を尽くせる。悔しい」と唇をかんだ。

 その後も元横綱の貴乃花親方、元横綱朝青龍、現役横綱の白鵬、日馬富士らが続々と弔問に訪れた。8月6、7日に営まれた通夜・告別式には親交が深かった歌手の松山千春をはじめ、アントニオ猪木氏(元プロレスラー)、釜本邦茂氏(元サッカー日本代表)、原辰徳氏(プロ野球巨人監督)ら多くの著名人も参列。角界内外は大きな喪失感に包まれた。

 あの急死から4年。健在なら、今年6月に65歳の定年を迎えていたことになる。新型コロナウイルスの影響で、夏場所は開催中止となった。本来なら初日にあたる日に、NHKで87年に放送された千代の富士の全盛期の映像が紹介され、弟弟子の北勝海に厳しく稽古をつけるシーンが印象的だった。生前の九重親方は現役力士の稽古不足を憂い、記者に対しても「稀勢の里(当時は大関)は自分から白鵬のところへ出稽古に行かないとダメだ。一番強い人と稽古をやれば、すぐにでも横綱だ」と熱く語っていた姿が思い出される。

 現在の土俵は白鵬が現役の晩年に差し掛かる一方で、新大関の朝乃山が誕生するなど新たな世代が台頭しつつある。今の角界の姿は、大横綱の目にどのように映っているのだろうか。

【父の顔】生前の九重親方はコワモテとして知られ、記者にとっても気安く声をかけることなどできない存在だった。そんな親方の“素顔”を垣間見た瞬間があった。ある懇親会に参加した時のことだ。開宴前に空いていた席で待機していると、後からウルフが登場。記者の真正面に着席し、テーブルを挟んでまともに向き合う格好となった。

 目の前にあるちゃんこを大横綱から直々によそってもらったが、緊張のせいか味がしない。しばらくは当たり障りのない内容の会話を続けていたが、この時ばかりは本人に聞いておきたいことがあった。愛娘で当時20代だったモデルの秋元梢に恋人の存在が噂され、テレビのワイドショーなどでも取り上げられていた。父親としての心境が気になる半面、下手に話題を持ち出せば逆鱗に触れてしまうかもしれない。

 酒の勢いを借りて恐る恐る水を向けると、ウルフの口からは意外な言葉が…。「年頃の女性だぞ。浮いた話の一つや二つ、全くないほうがおかしいだろ」と言ってニヤリ。いつものぶっきらぼうな口調だったが、その表情はまんざらでもない様子だった。親方が亡くなってから2年後、愛娘は俳優の松田翔太と結婚。きっと天国で喜んでいたに違いない。

 ☆ちよのふじ・みつぐ 本名・秋元貢。1955年6月1日生まれ。北海道・福島町出身。70年秋場所で初土俵を踏み、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。両肩の脱臼を克服し、35歳の91年夏場所限りで引退するまでに史上3位の31度の優勝を果たした。通算1045勝、幕内807勝はいずれも歴代3位。89年には角界初の国民栄誉賞を受賞した。92年4月に九重部屋を継承し、大関千代大海らを育てた。2008年に日本相撲協会理事に初当選。事業部長や審判部長などを歴任した。