大相撲名古屋場所(7日初日、愛知県体育館)を控えた4日、カド番の大関貴景勝(22=千賀ノ浦)が全休することを決めた。次の秋場所(9月8日初日、両国国技館)は関脇へ転落する。新大関として臨んだ5月場所で右ヒザを負傷。今も万全の状態には戻っていない。目先の地位を守ることより将来を考慮して完治を優先させた格好だが、今回の休場をめぐっては師匠の千賀ノ浦親方(58=元小結隆三杉)と直前までドタバタ劇を展開。改めて師弟間の意思疎通に不安を残した。先場所の再休場に続き、またもや波紋を広げている。

 貴景勝が名古屋場所を全休することになった。新大関で臨んだ先場所は右ヒザを負傷して途中休場(3勝4敗8休)。2場所連続の休場で秋場所は関脇への陥落が決定的となった。現行制度では、新大関から2場所での関脇陥落は武双山(現藤島親方)以来2人目。秋場所は規定で定められている10勝での大関復帰を目指す。

 師匠の千賀ノ浦親方は今回の休場について「22歳で若いし、まだ先がある。これ以上(右ヒザを)悪くして相撲人生を終わらせたくない」と説明。貴景勝は若い衆と相撲を取れる程度には回復していたが、関取衆を相手にした本格的な稽古は再開できていなかった。目先の地位を守ることよりも、将来を考慮して完治を優先させたことは“英断”とも言える。

 とはいえ、その決断に至るまでには紆余曲折があった。この日の朝稽古後に千賀ノ浦親方と貴景勝の間で出場の可否について話し合いが持たれた。師匠が休場を強く勧めたのに対して、弟子はあくまでも出場を直訴。両者の話し合いは4時間以上にも及んだが、互いの主張は平行線をたどり結論は出なかった。貴景勝は当初から、よほどひどい状況でもない限りは「ぶっつけ本番」でも出場する意思を固めていた。

 これに対して千賀ノ浦親方は「関取衆と稽古をしていない。そんなに甘くないし、師匠として出すわけにはいかない」。両者の出場をめぐる基準には初めから“ズレ”があったことは確かだ。実際、師匠は数日前から本人に休場を勧告する一方で「これだけ腹を割って話したのは今日が初めて」とも話している。

 その後、貴景勝は名古屋場所の「前夜祭」に出席してから再び部屋に戻って、師匠との協議を再開。約30分の話し合いを終えて最終的には「休場します。師匠の意見を聞いて、自分も納得した」と師匠の考えを受け入れた。千賀ノ浦親方も「本人の口から『話が長引いて申し訳ありません。休場させてください』と言ってくれたので、ホッとしている」と安堵の表情を浮かべた。

 一方で、今回の一連のドタバタ劇の余波は周囲にも及んでいる。この日の前夜祭は日本相撲協会の公式行事に準ずる位置付け。協会からは広報部長の芝田山親方(56=元横綱大乃国)が出席した。力士は前夜祭までに出場の可否を決断し、休場の場合は出席を見合わせることが慣例。その背景には、地元テレビ局が初日前日(6日)に前夜祭の模様を放送する事情も絡んでいる。

 貴景勝が休場の判断を長引かせた結果、地元テレビ局は貴景勝が出演するシーンのカットや「休場が決まる前に収録したものです」などのテロップを入れるなど特別な編集を余儀なくされることになった。

 先場所も右ヒザの負傷を押して途中出場↓異例の再休場となり、角界内で厳しい声が上がった。それと同様に、今回の休場も角界内外に波紋を広げる形となった。秋場所で10勝以上を挙げて完全復活し、今度こそ名誉挽回したいところだが、果たして…。