大相撲元十両で元ノア社長の田上明(57)が9日に急逝した元横綱輪島大士(本名・輪島博=享年70)さんの思い出を語った。

 田上が大相撲からプロレスに転向したのは1987年8月。輪島さんは前年に全日本プロレスでデビューしており「(社長の故ジャイアント)馬場さんが相撲協会に気を使ってさ、続けて全日本に入るのはどうかと考えたので、俺は最初(当時提携していた)ジャパンプロに入団させられたんだよ」と意外な事実を明かした。

 練習生当時は輪島さんが故郷の石川・和倉温泉で行った合宿に、練習パートーナーとして何度も同行。同期の鉄人・小橋建太(51)もいたという。「小橋と俺と、入れ替わりで川田(利明)、冬木(弘道さん=故人)が来たっけ。あの人、練習が終わると昼食は必ずソバ屋でさ。1週間、毎日毎日ソバで参ったよ。夜は馬場さんのお供ですし屋だしな。1週間同じ食事って結構つらいんだぞ。でも懐かしいなあ…」とレスラー・輪島の記憶は語らず、田上イズム全開の思い出を公開した。

 現役時代の必殺技ノド輪落としは、輪島さんのゴールデン・アームボンバーが原型となった。「そうだね、輪島さんの(技)が原型だったんだね。元横綱なのに気取ることもなく真面目な人だった」としんみりした表情を見せた田上。自身も4月に胃がんの摘出手術を受けているが、すっかり元気になった模様。「俺はもう大丈夫ですから安心してください。心からご冥福をお祈りします」と天に向かって報告した。