“サプライズ口上”の裏には――。日本相撲協会は30日、栃ノ心(30=春日野)の大関昇進を正式に決定した。東京・墨田区の部屋で行われた伝達式で、栃ノ心は「親方」の言葉を入れる異例の口上で師匠への感謝の気持ちを表した。2006年の入門以来、春日野親方(56=元関脇栃乃和歌)の厳しくも温かい指導を受けて12年あまり。これからも師弟二人三脚で次の目標の横綱を目指していく。

 大関昇進を伝える使者を迎えた栃ノ心は「謹んでお受けいたします。親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進します」と口上を述べた。大関としての決意を表す口上の中に「親方」の言葉が入るのは極めて異例だ。師匠の春日野親方は当初は難色を示していたが、最後は栃ノ心の「自分の気持ちを言いたい」という熱意に押される形で了承した。

 新大関は「どうしても『親方』を入れたかった。18歳になる前に日本に来て、日本語も全然知らなくて、相撲も知らなくて。親方から、ゼロから教えてもらった。(師匠には)反対されたけど、何度もお願いしてこれに決めました」と言葉に込めた意味を明かした。

 若き日の栃ノ心は、春日野親方いわく「やんちゃだった」。厳格な指導で知られる師匠を何度も怒らせた。服装違反となるTシャツ姿で繁華街を闊歩し、部屋の門限を破って飲み歩いた。11年10月には親方を激怒させて“鉄拳制裁”を食らい、土俵で相撲を取る稽古を禁じられた。稽古の再開を許されたのは、11月場所になってからだった。栃ノ心は「稽古で体を動かすのは、こんなに気持ちがいいんだね。(自分は)やっぱり稽古が好きなんだなって思った」。力士としての本分に気づかされた。

 師匠には厳しさだけではなく、優しさでも救われた。13年7月場所で右ヒザの靱帯を断裂する大ケガを負った。4場所連続の休場で番付は西幕下55枚目まで陥落した。稽古場で栃煌山(31)と碧山(31)がぶつかり合う姿を見て「もう2人とは稽古ができないな」と気落ちした。

 どん底にいた時期、親方からかけられた言葉は今でも忘れられない。栃ノ心は「自分の中では(相撲を)やめる気持ちもあった。その時に師匠と相談して『あと10年頑張れ』と言われた。それが心に一番残っている。一番、つらい時だったから」。親方からの励ましがなければ「大関栃ノ心」も誕生しなかったことになる。

 春日野部屋は来週から稽古を再開する予定。栃ノ心は当初、母国ジョージアへ帰らずに部屋の稽古に参加することを申し出ていたという。春日野親方からの返答は「稽古はいいから、国へ帰れ!」。

 大関の地位を引っ提げての凱旋帰国は、師匠がくれた何よりの“ご褒美”と言えそうだ。