仕切り直しだ。大相撲夏場所初日(13日、東京・両国国技館)、2場所連続休場から復活を目指す横綱白鵬(33=宮城野)が幕内玉鷲(33=片男波)を押し出して白星発進した。春巡業中の4月に父のジジド・ムンフバトさんが76歳で死去した。心の支えを失ったことでモチベーションの低下も心配されたが、周囲の不安を払拭する快勝。かねて目標にしている2020年の東京五輪までの現役続行へ向けて再スタートを切った。

 白鵬がV41へ向けて白星スタートを切った。横綱審議委員会から問題視された立ち合いの張り手を“解禁”して玉鷲の出足をそぐと、互いに見合った場面では「来い!」と言わんばかりに両手を広げて相手を挑発。最後は自ら前へ出て一気に押し出した。勝ち名乗りを受けると、懸賞を振り回すようなしぐさで誇示。大横綱の復帰土俵は良くも悪くも“らしさ全開”だった。

 春巡業中の4月9日、母国モンゴルの英雄で誰よりも尊敬していた父のムンフバトさんが76歳で死去。白鵬は葬儀に参列するために緊急帰国した。ムンフバトさんはレスリングの選手として1964年の東京五輪に出場したことから、白鵬は2020年東京五輪の開会式で横綱土俵入りを見せる夢を抱いていた。その心の支えを失ったショックは大きかった。

 師匠の宮城野親方(60=元幕内竹葉山)は「気力に影響しなければいいが」と危惧。白鵬自身も再来日してから「一つの目標を失った」と喪失感を口にし、巡業復帰後に疲労と心労でダウンした。しかし、いつまでも落ち込んでいては家族や天国の父を心配させるだけだ。今場所の千秋楽(27日)が父の四十九日にあたる運命的な巡り合わせもある。

 再び奮起した白鵬は場所前の稽古で自ら「オーバーワーク」と言うほど稽古に没頭した。親しい関係者は「そこ(20年東京五輪)を目指していく強い気持ちは今も変わっていない。全く心配していない」と断言する。打ち出し後には綱で五輪をかたどった図柄に「2020」の数字が入った浴衣姿を披露。白鵬は「常に目の前にあれば自然と意識していくんじゃないか」とデザインの意図を明かした。

 周囲では五輪イヤー用に化粧まわしを新調する計画も持ち上がっている。亡き父に賜杯をささげると同時に、この先の現役続行へ向けて健在を印象づけることができるか。白鵬にとっては大きな意味を持つ場所となりそうだ。