平尾誠二さん“幻の代表監督再任”

2016年10月22日 06時00分

1997年、社会人選手権の試合を視察した平尾さん

 また桜のジャージーをけん引する日も訪れたかも――。20日に53歳で死去した「ミスター・ラグビー」平尾誠二さんの死を、「ミスター」の先輩格である元スター選手、松尾雄治氏(62)が悼んだ。ともに日本代表として同じピッチに立ったこともある両雄。平尾さんは代表監督として1999年W杯で指揮を執るも3戦全敗を喫し、翌年に退任した“苦い”経験がある。松尾氏はその平尾さんが再び代表チームの指導者になる可能性も感じていた。 

「本当に残念というか、早すぎるよね」

 昨年までは直接会うこともあったという松尾氏は、平尾さんの死を悔しがった。

 今春始まったラジオ番組「松尾雄治 明日へのトライ!」(TBS)の初回ゲストは平尾さんと心に決めていた。3月に打診のメールを送ったところ、体調がすぐれないとする断りの返信が。そこには「今度、必ずリベンジ(出演)します」との言葉があった。

 20日午前に死去、死因や闘病生活などは明かされていない平尾さん。体調不良の話は昨年から松尾氏も耳にしていたが、早すぎる人生のノーサイドに「惜しい」と言うしかなかった。

 83年10月、日本が敵地カーディフで強豪ウェールズを24―29と追い詰めた歴史的一戦で2人はプレーした。SOと兼任監督も務めた新日鉄釜石で日本選手権7連覇の松尾氏。神戸製鋼でCTBとしてBKをリードし、同選手権V7に導いた平尾さん。85年の日本選手権では同大の平尾さんが、この一戦で引退する松尾氏率いる釜石のV7阻止に挑み、司令塔対決が列島を沸かせた。

 ともにラグビー界のど真ん中を歩んだ両雄で、平尾さんは“苦い”思いも味わった。引退1年前の97年に34歳で代表監督に。「情熱の続く限りやってほしい」と日本ラグビー協会幹部から“終身監督”も公言されたが、99年W杯でサモア、ウェールズ、アルゼンチンに大敗すると翌年に退いてしまった。
 要のポジションと主将に元オールブラックスを含むニュージーランド人を据えるなど外国人選手の多用が批判や議論を呼び、選手の「個」の力を高めることを重視する方針にも「組織」との兼ね合いから異論が出るなどした。これに平尾さんは不本意な思いをしたこともあったようだ。

 95年に世界のラグビー界がプロに門戸を開いてオープン化が進む中、日本協会はアマチュア主義を固守。そうした流れの行き着いた先がW杯の3戦全敗だったと自著「理不尽に勝つ」で回顧している。松尾氏は言う。

「平尾君は昔から、外国人選手を入れて、もっともっと日本人は外国人とやって強化していかなければいけないと言っていた。ボクもそれは同じ意見でした。彼が『世界に勝つためにはこういうラグビーがいいんじゃないですか』と言ったことが今、そういう形に日本がなってきている」

 いまやトップリーグでは各国の一流選手がキラ星のごとく輝く。そこでもまれた選手が世界で戦い、日本は自国開催の2019年W杯で初の決勝トーナメント進出を目指す。松尾氏はさらにこんな思いも語った。

「やっぱり彼は現場サイドで神戸製鋼を率いていたわけだから、そこで頑張ってもらいたかった。神戸製鋼で勝って、もう一度日本代表の監督になって、厳しい監督になれるかどうかというところは難しいけれどね」

 平尾さんがGMを務めていた神鋼はトップリーグで今季、目下5連勝中で6勝1敗の3位。初代覇者となった03年度以来の優勝を狙う。代表チームの現場からは離れていた平尾さんに、神鋼の強化を足がかりに監督へと復活するチャンスもあったかもしれない。

 端正なルックスも相まって正統派スターの色が濃い平尾さんだが、アマチュアリズムに厳格だった30年ほど前、ファッション誌に登場してアマ規定違反により出場停止処分を受けたこともある。現在なら当たり前のことも、当時は時代の先端を走りすぎていた。

「理想を追い求めていましたよね、平尾君は」

 東日本大震災で被災した釜石を支援してくれた盟友の訃報で、松尾氏は改めて故人の偉大さを感じた。

関連タグ: