【ラグビー】仏1部クレルモン移籍・松島幸太朗の成功をサントリー・ヘイグ監督が約束「彼はワールドクラス」「スーパースターになれる」 

2020年09月03日 11時20分

松島に太鼓判を押す古巣のヘイグ監(顔写真)

 ラグビーのフランス1部クレルモンに移籍した日本代表FB松島幸太朗(27)が再スタートを切る。これまでフランスに渡って確固たる地位を築いた日本人選手がいない中で、昨年のW杯日本大会で日本代表をベスト8に導いたパフォーマンスを世界最高峰リーグでも発揮できるのか。開幕戦(6日、対トゥールーズ)を前に、元ジョージア代表ヘッドコーチで欧州事情に精通するトップリーグ(TL)サントリーのミルトン・ヘイグ監督(56)を緊急直撃した。

 これまでフランス1部など欧州リーグで活躍した日本人は皆無に等しい。最近では2015年W杯イングランド大会後の16年に日本代表FB五郎丸歩がフランス1部トゥーロンに移籍するも出場機会に恵まれず、1シーズンで撤退。この大きな壁の突破を期待されるのが、昨年のW杯で5トライをマークし実力を証明した松島だ。

 サントリーで松島を指導したヘイグ監督は単なる活躍にとどまらず、フランスで特別な存在になれると太鼓判を押す。「彼はワールドクラスの選手。フランスやイングランド、スーパーラグビー(SR)に行っても成功すると思う。それにクレルモンのラグビーは、オープンスタイルでボールを大きく展開し、走るスキルが求められるスタイル。なので、そこに関してもマツはフィットする。スーパースターになれる可能性を秘めている」

 決して社交辞令ではない。松島の総合力を高く評価したからこその発言だ。「ランニングスキルは世界トップクラスだと思っている。相手選手を抜くときの強さと、アジリティー(俊敏性)のレベルも高い。ハイボールにも強くてロングキックもしっかり蹴れる。あとはW杯を含めて多くの経験を積んでいるし、トレーニングに対する姿勢もすごく真剣。クレルモンが求めるクオリティーを全て持った選手といえる」

 もちろん、全てが完璧ではない。伸ばすべきポイントもあるとも言い「エリア的には小さなものになるが、キックの正確性とかチップキック(対峙する相手の裏に小さくボールを出し、自分で追いかけてトライにつなげるプレー)といったスキルに関しては、改善の可能性があると感じている」と指摘した。

 松島は本職のFBのほかWTB、CTBのポジションもこなせる。本人も「どこでもやる」と語っていたが、ヘイグ監督は「私はFBがいいと思っている。FBならボールのタッチ数が多く、左サイドでも右サイドでもボールをもらえるチャンスがある。彼はスキルを持っているので、できるだけボールを多く持つFBが最も生きるポジションと考えている」との見解を示した。

 ヘイグ監督によると、ジョージア代表を指揮していた当時からクレルモンに在籍する同国選手を通じてコーチらとも親交があり、現在のチーム状況を把握しているという。それだけに「松島がさらに成長することを考えたらクレルモンの環境は素晴らしいし、コーチやスタッフは優秀な人ばかり。移籍が決まった後、マツには『すごくいいクラブなので楽しめると思うよ』と伝えたよ」。さらには「フランスのスタイルはフィジカル重視でFWが支配するような試合が多い。その中でプレーすることに加えて気候的に悪い中でプレーすることも多く、ボールを触りたくても触れないような状況になる。その中でも頭を使ってプレーしなければならないのでメンタル的にも強くなれる」と精神的にもタフになれるのだ。

 サントリーの指揮官としては来年1月開幕のTLを見据えると、松島の移籍で戦力ダウンは免れない。それでも「クラブとして引き留めにトライしたが、彼は若く、海外での経験、新しいチャレンジは中長期的にはチームにプラスになり、W杯後の移籍でタイミングとしてはいいという結論に達した。そこからは彼の決断をサポートしていく考えになっている。再びサントリーに戻ってきてもらいたい」と快く送り出した。

 すでに日本代表で不動の地位を築いた松島が、ヘイグ監督のイメージする成長曲線を描けるか。日本の23年W杯フランス大会4強入りへ向けても重要なポイントになりそうだ。

 ☆まつしま・こうたろう 1993年2月26日生まれ。南アフリカ出身。ジンバブエ人の父と日本人の母を持ち、6歳から日本で過ごす。中学からラグビーを始め、神奈川・桐蔭学園高で全国高校大会優勝。卒業後は南アフリカにラグビー留学し、同国U―20代表にも選出された。2014年からトップリーグのサントリーに加入。同年に初選出された日本代表として15、19年W杯に出場。178センチ、87キロ。

 ☆ミルトン・ヘイグ 1964年2月6日生まれ。ニュージーランド出身。SHとして南アフリカやイングランドのクラブなどでもプレーし、引退後は指導者へ転身した。U―21ニュージーランド代表アシスタントコーチ(2006~07年)を経て12年1月からジョージア代表ヘッドコーチを務め、15年イングランド、19年日本のW杯で同国代表を指揮。日本大会後、サントリーの監督に就任した。