【ラグビー】日本代表SH田中史朗が本紙直撃に明かす「23年W杯フランス大会への思い」

2020年07月18日 14時00分

田中は本サイト読者に向けてホワイトボードにメッセージを記してくれた

 2019年ラグビーW杯日本大会の熱狂を受けて1月に開幕したトップリーグ(TL)は大盛況で始まったが、新型コロナウイルス禍で活動はストップし、年内の公式戦開催の見通しは立っていない。ようやくTL各チームが動き始めた中で、日本代表SH田中史朗(35=キヤノン)が本紙直撃に応じ、コロナ禍でのラグビー普及活動や23年W杯フランス大会に向けた思いを語った。さらに大ブレークを期待する“あの選手”とは――。

 ――コロナ禍で今季のTLは打ち切りとなった

 田中:残念だけど、人の命が一番大事だし、妥当な判断。個人的には家族と接する時間が増え、今まで(代表活動で)12年間そういう時間が持てなかったので子供も奥さんも喜んでくれてうれしい。ただ(自粛期間中は)家の中でトレーニングするとか、ガレージで子供とダッシュするとかしかできず、コンディション維持は難しかった。

 ――選手は自粛期間中もSNSなどを通じてラグビーをアピールした

 田中:(6~7月の日本)代表戦もなくなってファン離れが起こらないように、いろいろな選手がやってくれている。すごくうれしいけど、やっぱり試合を見てもらいたい気持ちは強い。

 ――個人ではSNSで「ふみチャレンジ」を企画した

 田中:(コロナ禍で)ラグビーができない子供たちが増えた。何か家の中でもできることを考え、課題を渡すことによって子供たちが、楽しく過ごせると思ったのがきっかけ。最初は指でラグビーボール回しと次は(ラグビー選手の)似顔絵コンテスト。最後は「なんでも屋」(※)ですね。

 ――各TLチームは活動を再開させている

 田中:キヤノンは3日にチーム活動が再開。TLの新シーズンは来年1月からと聞いているが、早く正式な日程を出してほしい。僕たちもそこに合わせないといけないので、日程は少し急いでもらいたい。

 ――4度目の出場を狙う2023年のW杯について

 田中:日本代表に選ばれるように100%で準備したい。ダメでも何らかの形で代表やW杯に関わっていきたい。

 ――目標の4強入りにはさらなる強化が必要

 田中:今後もスーパーラグビー(SR)のレベルでやらないと、レベルアップはできない。(今季でSRから除外となった)サンウルブズはチーム自体がなくなっていないので、(日本ラグビー)協会がどのように継続してくれるのか期待したい。それに松島(幸太朗=27)がフランス(1部クレルモン)に移籍したし、欧州に挑戦する選手が増えてもいい。日本のTLだけではティア1(世界トップ10)相手に結果を残せない。

 ――松島はフランスW杯でも活躍が期待される

 田中:マツは放っておいても全部自分でコントロールできる選手。年齢的に次のW杯もベストでいけると思う。何の心配もない。彼は世界でも高い評価をされているし、フランスでも活躍できると思う。皆さんも期待してもらいたい。

 ――WTB福岡堅樹(27=パナソニック)は東京五輪に臨む7人制代表を辞退した

 田中:それは彼の判断。その分1つ枠が空くわけだからセブンズの選手は、切磋琢磨し東京五輪で頑張ってほしい。個人的には来年(のTL)まではやると言っていたので対戦がすごく楽しみ。

 ――今後の飛躍を期待する選手は

 田中:SO松田力也(26=パナソニック)ですね。去年のW杯もスタメンの能力はあったけど、(SO田村)優(31=キヤノン)がいたから出られなかっただけ。優も年齢を重ねてもっといい選手になると思うが、松田はこれからの選手。自分を1~2ランク上げて次のW杯は、キックができてパスもランもできる10番(SO)としてチームを引っ張ってほしい。

 ――プロップの稲垣啓太(30=パナソニック)は“笑わない男”で大ブレークした

 田中:本当にありがたい存在。15年W杯イングランド大会後の五郎丸(歩=34、ヤマハ発動機)のように、ラグビーをすごくアピールしてくれている。(自身も)“泣く男”でおなじみ? ちょっと恥ずかしいけど、泣いているのは事実。泣くことでも、いろいろな人にラグビーを知ってもらえるのはうれしい。

 ――将来について

 田中:ずっとプレーヤーでいられるならやりたい。年々体がしんどくなってリカバリーも遅くなっているが、小さい僕がプレーを続けることでいろいろな人に勇気を届けられたらと思っている。

 ※ 田中が依頼者と一緒に仲間、家族にしてあげたいことを手紙で募集。本人がどの依頼に応じるか決めた後、新型コロナウイルスのリスクが完全になくなった時点で実行に移す。

☆たなか・ふみあき 1985年1月3日生まれ。京都府出身。伏見工(現京都工学院高)から京都産業大を経て、2007年に三洋電機(現パナソニック)に加入し、19年にキヤノン移籍。12年に日本人初となるSRのハイランダーズ(ニュージーランド)入りし、15年にはSR優勝に貢献。W杯は11年ニュージーランド大会、15年イングランド大会、19年日本大会に出場。日本代表75キャップ。166センチ、73キロ。