【ラグビーW杯】“小さな巨人”田中史朗 母校の京産大・大西監督が明かす2大転機

2019年10月20日 16時30分

ニュージーランド留学時代の田中

“小さな巨人”の原点とは――。ラグビーW杯で初の8強入りを果たした日本代表の司令塔、SH田中史朗(34=キヤノン)はスーパーサブとして躍動し、大きな貢献を果たしている。そんなベテランについて、母校・京都産業大ラグビー部の大西健監督(69)は、愛弟子が日本代表に選出されるまでに急成長した裏に、2つのキッカケがあったことを明かした。

 ――名門の京都・伏見工(現京都工学院)から京産大入り。入学当初の印象は

 大西 小さくてかわいらしい顔をした子。チビチビって言われていた(笑い)。彼が1年生のころ、合宿先のグラウンドまで2人で30~40分歩いていたときに、ずっとラグビーボールを指(の先)で回していた。こいつは特殊なやつだなと思った。センス? 特に球さばきが優れていた。

 ――2年でニュージーランドに留学させた

 大西 本来は4年で留学させるが、素質があって負けん気も強かったので、海外でプレーさせた方が伸びると思った。オールブラックス(ニュージーランド代表の愛称)の選手を輩出するようなチームで半年間、プレーしていた。いろいろな経験をして視野が広がり、ハーフのスキルが上がったし、ラグビーに対する欲求も高まった。

 ――海外経験がさらなる成長につながった

 大西 小さな体(身長166センチ)でも海外勢と激しく接する中、遜色なくプレーでき、自信になったし、多くの技術を吸収できた。先輩に対しても物おじせずに指示を出した。FWを手足のように動かす能力が際立って、うまくチームをコントロールしていた。

 ――2006年度の大学選手権では、チームをベスト4に導いた

 大西 田中のパスが起点でチームを逆転勝ちに導いたことが何度もあった。(強豪の)法政大や帝京大にも勝つことができた。準決勝で(元日本代表FB)五郎丸歩(33=現ヤマハ発動機)のいる早稲田大に負けたが、彼は大学時代にひと皮むけたと思う。

 ――卒業後はトップリーグの三洋電機(現パナソニック)に進んだ

 大西 早いうちから誘いがあり、そこで(現日本代表の)トニー・ブラウン・コーチ(44)に出会えたことが彼のラグビー人生を変えた。FWが何を求めているのかを叩き込まれた。田中は出会いに恵まれている。今回もスーパーサブとしてチームを落ち着かす役割。田中の言う通りに動いたら大丈夫との安心感がチームを冷静にさせた。

 ――今後に期待していることはあるか

 大西 数年は現役でプレーすると思うが(将来的に)コーチをやっても面白い。日本代表? 叩き上げの京産大式トレーニングと最新トレーニング、どちらも学んでいるので面白い。コーチには正解がないし、人によって接し方を変える必要があるので、コーチをやったらより成長できる。

 ――京産大で指導することはあるか

 大西 うちに来てもいいコーチになる。兄貴分なので、学生目線で物事を見れるし、面倒見もいいので案外向いている。その気があるならいつでもウエルカムです。