ラグビー日本代表が1次リーグ初戦ロシア戦(9月20日、東京)で幕を開けるW杯日本大会に向けて、着々と準備を進めている。初の8強入りが大目標となるなか、自身3度目のW杯出場を目指すSH田中史朗(34=キヤノン)が本紙の直撃に応じ、胸中を告白した。快挙を成し遂げた前回2015年イングランド大会の知られざる舞台裏から、ホスト国として8強入りへの意気込み、さらには代表チームにおける自身の立ち位置の変化など、様々な角度からラグビー界の「今」を語った。

 ――W杯は8強入りの期待もかかる

 田中:全てのピースが合わないと決勝トーナメントには行けない。チームを信じて、ジェイミー(ジョセフ・ヘッドコーチ=49)を信じてやるだけ。サモア、ロシアには絶対に勝たないといけないし、その中でアイルランド、スコットランドにどれだけの試合ができるかがキーになる。彼らをしっかり分析して勝てるんだと強い気持ちを持って取り組んでいきたい。

 ――前回大会ではスコットランドに敗れている

 田中:南アフリカ戦が終わって中3日の試合だったので、お酒は絶対にアカンと思って僕は飲まなかったけど、自分も浮かれていて(チームメートの)お酒を止めることができなかったのは、自分の責任。あれだけしんどいことしてきて勝ったんだから、今日くらいはという気持ちになってしまった。お酒を飲んだことでフィジカルも落ちたし、精神的に浮かれている思いも抜け切れていなかった。次にこういう機会があれば絶対に止めようと思う。

 ――外国出身選手も多い中でチームとしてのまとまりも重要

 田中:個人としては外国人選手へ積極的に話すようにしている。主将のリーチ(マイケル=30、東芝)が間を取り持ってトークしてくれるので、彼の存在はすごく大きい。それにレメキ(ロマノラバ=30、ホンダ)やティモシー・ラファエレ(27=神戸製鋼)だったり、みんな日本語を少しずつ理解して、互いにしゃべれるという環境になっているのは、チームがまとまるという意味で重要。試合が終わった後にはみんなで「カントリーロード」の替え歌を歌って盛り上がって一体感も出ている。
 ――個人的にはベテランの域に突入した

 田中:昔よりウエート(トレーニング)の量は増えているし、プロテインを取るようになった。昔はウエートをしなくてもラグビーをやっているだけでスピードやフィットネスは補えたけど、今は気を抜くとウエート、フィットネスが一気に下がってしまうので、自分が持っているものをキープ、上げるためには全てを100%でやることを意識している。

 ――ケアにも気を使う

 田中:一昨年くらいから意識するようになった。昔は受けてなかったマッサージを今は受けている。体の回復も遅くなって試合が終わった翌日より2日、3日後に疲れがきたりするし、お酒も2015年あたりは週2回くらい飲んでいたけど、体が回復しにくくなって試合後でチームとしてリフレッシュする時だけになった。飲むお酒もビールを減らして焼酎の水割りやソーダ割り。禁酒? やっぱりお酒を飲んで本音を話すこともチームづくりには必要なので。

 ――前回大会はあえて嫌われ役を買ってチームを鼓舞した

 田中:中にいる人しかわからないと思うけど、今はラグビーのプレーもそうだし、個人のモチベーション、リーダーシップ、意識も確実にレベルが上がっている。15年の時はチームにいろいろ言ってケンカもしたけど、南アフリカ戦を見た選手がすごく多くて、そこで意識がガラッと変わった。僕が何か言わなくてもみんなが常に100%でやる意識を持っている。だから僕はとにかく必死でプレーするのが大事。34歳のオッサンが必死でプレーすれば、周りもおのずと「やらなあかん」と思うしね。

 ――若手の成長も著しい

 田中:リーダーシップで言えば流(大=26、サントリー)選手。能力も高いし、チームをまとめるのに必要な能力を備えている。松田(力也=25、パナソニック)や姫野(和樹=24、トヨタ自動車)も、これからも著しく伸びる可能性がある。

 ――次のW杯も目指す

 田中:日本を背負ってできるならば、最後まで代表のジャージーを背負ってラグビーがしたい。ただW杯が終われば年齢的なもので協会から(日本代表に)いらないと言われる可能性が高いので、19年に全てを懸けようと思っている。

 ――将来の展望

 田中:ラグビーの普及に関わってラグビーに恩返ししたい。特に中学生、高校生に世界はこういうものだと伝えられる機会があれば意識も高くなる。社会人になってから頑張るのでは遅いし、僕もいろいろな選手を見てきて、すごい選手は中学、高校から、小学校あたりからでもすごいとなっているので、早いうちから意識を世界に向けさせてあげたい。

☆たなか・ふみあき 1985年1月3日生まれ。京都市出身。伏見工高から京産大を経て、2007年に三洋電機(現パナソニック)に加入し、19年にキヤノン移籍。12年には日本人初となるスーパーラグビー(SR)のハイランダーズ(ニュージーランド)入りし、15年にはチームのSR優勝に貢献。W杯には11年ニュージーランド大会、15年イングランド大会に出場。日本代表69キャップ。166センチ、72キロ。