多くの金メダリストを育てた全日本柔道連盟の元強化委員長・吉村和郎氏(65)が最も重きを置くこと。それは“勝利への執念”にほかならない。執念こそが運を引き寄せ、金メダルを現実のものにするという。直撃インタビュー後編はリオデジャネイロ五輪柔道女子代表を占う。「女子の金メダルは厳しい」という同氏は「最後は勝利への執念次第」と指摘した。

 ――女子代表の顔ぶれを見てどう思う

 吉村氏:男子にも言えることだが、オレの経験からいって初めの数試合にかかっている。48キロ級の近藤亜美(21)、52キロ級の中村美里(27=ともに三井住友海上)、松本薫(28=ベネシード)がすべて負けで来たら怖い。あとの選手は(プレッシャーで)体が硬くなるから。

 ――この3人は誰かが金メダルを取るのでは

 吉村氏:いや、そんな甘くはない。近藤は体幹は強いものの、巻きたがる技にこだわるのが弱点なんよ。1回目はかかるかもしれんけど、手足が長く懐も深い外国人に2回目はない。美里は組み合わせ次第か。ロンドン五輪のときのように、いきなり北京五輪のときの準決勝で敗れた相手にあたって負けてしまうこともある。

 ――松本は昨年の世界選手権で優勝した

 吉村氏:松本は明らかに力が落ちている。例えば寝技で(腕ひしぎ)十字(固め)を取られたりね。いくらなんでも十字を取られたらいかんだろ。それに以前はもっと目つきも鋭く、粘っこい柔道をしていたが、それもない。ハングリーさがなくなってきたのかもしれない。ロンドン五輪がピークだった。

 ――63キロ級の田代未来(22=コマツ)は

 吉村氏:いい選手だが、ケガが多いよな。3位までには入ると思うけど、金メダルはどうか。その後の重い階級もう~ん…。

 ――つまり金メダルは

 吉村氏:正直、厳しいと思う。

 ――もし今から取りにいくとすれば何が必要か

 吉村氏:もう何が何でも取るという勝利への執念しかないだろ。五輪2連覇した谷亮子(氏=40)を見習ってほしい。2001年、ミュンヘンの世界選手権でのことだ。当時、亮子はヒザをケガしとってな。全然、練習ができんのよ。で、あいつが何をやったかというと、対戦選手の映像をじ~っと見ながら、手を動かして組み手のイメージトレーニングをするわけ。頭の中で試合をつくって、実際その通りにやるんだよ。決勝戦でも(自分が)ケツをつきそうになった瞬間、ぐわ~っと押し返して優勝した。そこに何があったかというと勝ちたいという思いだけやわ。

 ――すさまじい精神力

 吉村氏:亮子は練習のときから、勝つためのことなら何だってしていた。あいつの実家のある福岡に、見に行ったときのこと。自宅に併設された道場になぜか鎌があるんよ。「おい、これ何に使うんだ?」って聞いたら「先生、それは足を刈るために置いてあります」という。要は鎌で足を払う訓練をして、反応をよくするわけや。「一理あるけどな、いくらなんでも危なすぎるだろ」と言ったが(笑い)。

 ――だからこそ、金メダルが近づいてくる

 吉村氏:もう、科学を超えているからな。あるとき、亮子が足を捻挫したんよ。そしたら、父の勝美さんが馬肉を患部に貼っていたから。確かに、馬肉は腫れを抑える効果があるとされているけど、さすがに前時代的だろう。それでもシップを貼るより本人には効いてしまうんだ。絶大な信頼を寄せる父がやるんだから、間違いないだろうと。

 ――気の持ち方次第

 吉村氏:そういうこと。必死にならんといかんのよ。よく選手の中には「楽しみたい」というやつがおるけど、何を考えておるんや。五輪は4年に1回。それも人生で一度しかないかもしれん。監督やコーチ、家族はみんなその選手にかけて4年間過ごしているんや。苦しいプレッシャーの中、戦うのは当然なのに何が楽しめるか。

 ――そういう意味でも女子は必死になれば可能性があるのでは

 吉村氏:五輪は実力だけじゃない。何が起こるかわからんから。不可能を可能にするには勝利への執念しかないぞ。

 ☆よしむら・かずお 1951年7月6日生まれ。熊本県出身。71年全日本新人体重別選手権優勝。73年スイス・ローザンヌ世界選手権軽中量級3位。80年に引退後は柔道私塾「講道学舎」の指導者として古賀稔彦氏、吉田秀彦氏らを育てた。96年から日本代表女子監督を務めて谷亮子氏らを指導。2004年アテネ五輪では日本女子に金メダル5個をもたらした。11年7月の本紙連載「金メダリストのつくりかた」では柔道界に反響を呼んだ。13年1月に発覚した女子柔道の暴力問題の責任をとり、第一線を退く。