講道館館長・上村氏「斉藤は命をかけて柔道をやっていた」

2015年01月22日 07時15分

斉藤氏(右)は上村氏(中)とともに若き日の小川(左)を鍛えあげた(1992年6月)

 20日に肝内胆管がんのため死去したロサンゼルス、ソウル五輪柔道95キロ超級金メダリストの斉藤仁氏(享年54)は、日本柔道を支えた「英雄」の一人だった。数々の快挙を成し遂げた斉藤氏に先輩、指導者として接した講道館館長の上村春樹氏(63=モントリオール五輪無差別級金メダリスト)が本紙の追悼インタビューに応じ、思い出を語った。

 ――最後に会ったのは

 上村氏:先週の土曜日に大阪の病院に行ってきた。「体力つけなきゃ」と言ったら「分かりました。頑張ります」と言っていた。ただ、つらそうだった、ガリガリで。普通の人からするとかなり痩せていたけど、ちゃんと答えてくれた。

 ――斉藤氏の第一印象は

 上村:初めて見た時、これだけの逸材を見たのは初めて。体格も運動神経も良かった。彼は根っからの努力家で細かい技術もあった。体落としを一人で覚える方法がある。円を描いて、そこに足を入れていくんだけど、1週間でできるようになった。

――ソウル五輪では国民的英雄になった

 上村:ソウル五輪で(日本は斉藤氏が出場する95キロ超級まで)金メダルが取れなかった。私は監督と重量級コーチをやっていたんだけど、元気がないように見えたのだろう。斉藤は「こんなピリピリした感覚。これはいいんですよ」と言って計量に行った。あそこまで緊張した状態でも気を使う。あの状況で戦えるのはすごい。(韓国は)全部日本は敵。でも、斉藤の試合では日本の人がたくさん来て、ものすごい応援をした。ラッパみたいなものを使ったりしていたら、斉藤が両手で「静かにしてください」と客席に合図した。あの状況でできる? 冷静な行動だった。でも、彼が初めて試合の時に涙を流したのを見たよ。彼だから優勝できた。

 ――指導者としては

 上村:彼は勉強して、「よしいくぞ! ダーッ」って引っ張っていくコーチ。一方で、ものすごく緻密なところがあった。彼が育てた選手はタイプが違う。鈴木桂治はハリの穴を通すようなキレがあった。石井慧はぐにゃぐにゃでブルドーザーのように攻めていく。型にハメないで、選手に合った教え方をした。指導者としていろんなタイプの選手を育ててきた。

 ――強化委員長としてこれから手腕を発揮するはずだった

 上村:現場が大好きな人間。来年のリオ、2020東京まで全部強化プランを描いていた。(柔道界で)大事な位置を占めてきた。彼がいなくなったのは柔道界の大きな損失。本人は描いてきたことを実現するはずだった。志半ばで亡くなって、本人も心残りだと思う。彼は柔道が大好き。治療を受けてて、安定剤を使うから意識がもうろうとする時もある。後で聞いたら、白衣を着てる看護師に「柔道やってたんですか」とうわごとのように話すこともあったという。責任感が強く(強化委員長を)途中でほっぽるタイプじゃない。命をかけて柔道をやっていた。

 ――上村館長にとって斉藤氏の存在は

 上村:弟に対して付き合ってきたようなもの。残念でならない――。

☆さいとう・ひとし=1961年1月2日生まれ。青森県出身。国士舘高から国士舘大に入学し、才能が開花。83年に世界選手権無差別級優勝。84年にはロス五輪95キロ超級で金メダルを獲得。88年ソウル五輪で2連覇。89年に引退し、指導者に転身。全日本男子監督を務め2004年アテネ五輪、08年北京五輪を指揮した。12年、全日本柔道連盟の強化委員長に就任。得意技は背負い投げ、内股など多彩。7段。