監督人選で狂った柔道界の計算

2012年08月11日 12時00分

【日本柔道 惨敗の真相(下)】五輪の正式種目になって初めての金メダルゼロという屈辱に、男子代表選手たちはそろって「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。しかし、その原因を選手だけに求めていいものなのか。今回の惨状は、起こるべくして起こったといっても過言ではない。

 吉村和郎強化委員長(61)は6日の帰国会見で「個人的意見」としたうえで、あらためて篠原信一監督(39)の続投を強調した。最終的な結論は全日本柔道連盟の上村春樹会長(61)や強化委員会の判断にゆだねられるが、篠原体制には男子柔道の抱える構造的な問題が横たわっていた。

 2008年、北京五輪での惨敗の責任をとる形で斉藤仁監督(51)が退任した。その後任となったのが篠原監督。代表コーチ経験がないにもかかわらず異例の就任となったのは、ほかに人材がいなかったからだ。

 本来なら、五輪メダリストである小川直也氏(44)や吉田秀彦氏(42=現パーク24監督)など、斉藤監督の下の世代が引き継ぐべきであった。実際に吉村強化委員長も、以前は「秀彦を男子監督にしようと考えていた」と言う。

 ところが小川氏や吉田氏はプロに転向した。また、プロ転向しなかった同世代の古賀稔彦氏(44=環太平洋大学監督)も監督業に難色を示したとされ、全柔連の計算は大きく狂った。

 当時は今以上にプロとアマの垣根が高く、プロ格闘家は活動終了後3年を経過しなければ柔道界に再登録できなかった(現在は1年に短縮)。人材不足に陥った全柔連は、その空白をうめるべく古賀、小川、吉田よりさらに下の世代、すなわち篠原監督を抜てきせざるを得なかった。

 代表コーチ経験のない篠原監督も必死だっただろう。選手に年齢が近い分だけ親近感はあるが、それが強化につながるとは限らない。ナメられないようにと考えたのか、厳しい練習を課したものの、結果的に選手は疲労とケガで悲鳴を上げるだけだった。

 お家芸と言われた日本柔道の低迷は、昨日や今日に始まったことではない。ボタンの掛け違いはどこから始まったのか。誰か一人の責任として済ませるのではなく、徹底した原因究明を行わないことには柔道ニッポンの再生はありえない。