【どうなる?東京五輪パラリンピック(58)】人を投げたい――。新型コロナウイルス禍で東京五輪が来夏に延期されたことは、各競技に多大な影響を及ぼしている。全日本柔道連盟では男女代表13人の権利をどうするかの結論をなかなか出せず、複数の内定選手が疑問を投げかけた。最終的には代表権維持で決まったが、声を上げた一人で男子100キロ級代表のウルフ・アロン(24=了徳寺大職)は今、何を思うのか。本紙の直撃に応じ、胸中を激白だ。

 陸上・マラソンや競歩、卓球、競泳、バドミントンは、東京五輪代表に内定していた選手について、代表権のスライドを続々と決定した。一方、13人の内定を発表していた柔道界は権利の維持に慎重な姿勢を貫き、ウルフは「ちょっと判断遅いかな」と声を上げた。

 ようやく代表権維持の方針が固まったのは、5月15日の常務理事会だった。「どう転んでも戦える準備はしてきたので、大きな心境の変化はありません」とコメントを発表していたウルフは、改めて本紙に「定まらない期間が続きましたけど、正式に決まったということでモチベーションも上がってはいますし、あとは一日でも早く柔道もできる環境が整うことを願ってます」との思いを語った。

 代表権が正式承認された5月25日には全国で緊急事態宣言が解除。全柔連では6月からの練習再開を許可する段階的な指針を発表したが、ウルフは「(拠点の)東海大もいつから練習を再開するか、まだ決まってないので。特に大学はいろんな地方から選手が来るのでリスクがあると思う。社会的な情勢を見ないと判断できないのでは」と本格的な稽古の再開には時間が必要との考えだ。

 現在のトレーニングについては「外を走ったり、僕が通ってるジムには、夜に閉まってても裏から入れるカードを持ってるんで、人のいない時間や環境を探してやってます」と、周囲に配慮しながら基本的な体力の維持と筋力の向上に努めているという。

 一方でウルフといえば、SNSなどで玄人はだしの包丁さばきを披露する「料理男子」としても知られる。魚の三枚おろしもお手のものだが、ステイホーム期間で“腕”のほうも上達した。作った料理はリゾット、鶏ハム、ギョーザやサムギョプサルなど多岐にわたると言い「グローバルな時代ですから」と笑う。他にも「DVDを見たりとか、あとは申し訳程度の半身浴。とりあえずやっとくけど、みたいな」。もともとインドア派であり、家にこもることにストレスを感じなかったというから、パワフルな柔道とは対照的に意外な素顔の持ち主でもある。

 もちろん、コロナ禍の終息後は「一番はやっぱり柔道をしたいですよね。人を投げたい」ときっぱり。一日も早い本格的な稽古の再開を望んだ上で「この期間に何をするのかを明確に考え、試合当日まで準備をして、しっかり戦って優勝したい」と力を込めた。

 世界選手権(2017年)と全日本選手権(19年)を制したウルフが目指すのは、男子で過去7人しか達成者がいない「柔道界3冠」。残る五輪金メダルに向かって突き進む覚悟だ。

【夫婦仲もノープロブレム】世間ではコロナ禍で在宅時間が増えた半面、夫婦仲がギクシャクするという問題も発生しているが、昨年4月に一般女性と結婚したウルフに心配は無用だ。「今、東京でウイークリーマンションを借りて住んでいるので(夫人と)あんまり会ってないんですよね、最近。あっちは神奈川で仕事してるので。僕はジムが東京にあって、神奈川から通うのが怖かったんです」と、単身赴任状態にあることを明かした。

 普段はLINEなどで連絡を取り合い、会うのも週1程度だが、夫婦仲はもちろん良好。ただ、この単身生活には「料理男子」ならではの悩みもあるという。「一口コンロなんで(調理が)きついんすよね。牢屋みたいなところで生活してるんで(笑い)。でも今は我慢の時期かなって感じなので、これも力に変えていきたいですね」

 メキメキと上がる料理の腕を存分に発揮するためにも、早期のコロナ終息を願っている。

☆ウルフ・アロン 1996年2月25日生まれ。東京・葛飾区出身。父は米国人、母が日本人のハーフで6歳から柔道を始めた。東海大浦安高(千葉)から東海大に進学。数々の大会で活躍し、2017年世界選手権ブダぺスト大会の100キロ級で優勝して初の世界王者に。19年には体重無差別の全日本選手権を初制覇。豊富なスタミナを武器にしたパワフルな柔道が持ち味。得意技は大内刈り。181センチ。